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堀辰雄の全作品

青空文庫で公開されている堀辰雄の全作品144篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全144件
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Le vent se l※(みは)ve, il faut tenter de vivre.PAUL VAL※(みは)RY序曲それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。
私は十七になった。
楡の家第一部一九二六年九月七日、O村にて菜穂子、私はこの日記をお前にいつか読んで貰うために書いておこうと思う。
樹下その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。
[#ページの左右中央]天の※気(こうき)の薄明に優しく会釈をしようとして、命の脈が又新しく活溌に打っている。
死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。
「春の奈良へいつて、馬酔木の花ざかりを見ようとおもつて、途中、木曾路をまはつてきたら、おもひがけず吹雪に遭ひました。
私は十五だった。
芥川龍之介を論ずるのは僕にとつて困難であります。
……一つの小径が生い茂った花と草とに掩(おお)われて殆ど消えそうになっていたが、それでもどうやら僅かにその跡らしいものだけを残して、曲りながらその空家へと人を導くのである。
一、中野重治それからもう數年になるのである。
私は書かうと思つてもどうしても書けないやうな時がある。
今朝も七時ごろに目が覺める。
けさ急に思い立って、軽井沢の山小屋を閉めて、野尻湖に来た。
萩の花については、私は二三の小さな思ひ出しか持つてゐない。
なほ物はかなきを思へば、あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし。
神西君が僕のことを山のぼりなどしたやうに書いたものだから、みんながもつと身體に氣をつけて、あんまり無茶をしないやうにといつてよこす。
九月三日ゆうべ二時頃、杉皮ばかりの天井裏で、何かごそごそと物音がするので、思はず目を覺ました。
「更級日記」は私の少年の日からの愛讀書であつた。
僕は、ベツドのかたはらの天使に向つて云つた。
私は十五だつた。
路易はすぐ顏をぱあつと赤くした。
これはレイモン・ラジィゲの小説だ。
ノワイユ伯爵夫人(Anna-Elisabeth Bassaraba de Brancovan, Comtesse Mathieu de Noailles)は一八七六年十一月十五日巴里に生れた。
或る夜、或る酒場から一人の青年がふらふらしながら出て來た。
六月二十日これでもう山小屋に雨に降りこめられてゐること一週間。
私は萩原朔太郎さんのことを考へると、いつも何處かの町角の、午後の、まだぱあつと日のあたつてゐる、閑靜なビヤホオルかなんぞで二人きりで話し合つてゐるやうな記憶が一番はつきりと浮んでくる。
七月二十三日夕方だのに汽車は大へん混んでゐた。
源氏物語の「總角」の卷で、長患ひのために「かひななどもいとほそうなりて影のやうによわげに」、衾(ふすま)のなかに雛(ひいな)かなんぞの伏せられたやうになつたきり、「御髮はいとこちたうもあらぬほどにうちやられたる、枕よりおちたるきはの、つやつやと」した宇治の姫君が愛人の薫の君たちにみとられながら、遂に息を引きとつてしまふ。
本輯に「栗鼠娘」を書いてゐる野村英夫は、僕の「雉子日記」などに屡※出てくる往年の野村少年である。
昔からよく隨筆の題にはその筆者の好む花の名などが用ひられてゐる。
きのふプルウストの小説を讀んでゐましたら小説家のベルゴットの死を描いた一節に逢着しました。
妻の母方の祖父は、土屋彦六といつて、明治のころ、靜岡で牧師をしてゐた。
三月のはじめから又僕は病氣でねてゐました。
「馬車」は横光利一さんのもつとも特異な作品の一つである。
私が四歳の五月の節句のとき、隣家から發した火事のために、私の五月幟も五月人形もみんな燒けてしまつた。
「我々はエマオの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。
一、履歴、僕は千九百四年十二月東京に生れた。
僕は讀んでゐるうちに何かしら氣味惡くなつてくるやうな作品が好きだ。
丁抹の若い貴族マルテ・ラウリッツ・ブリッゲがその敗殘の身をパリの一隅によせ、其處でうらぶれた人々にまじつて孤獨な生活をはじめる。
たしかシングであつたと思ふ。
現代作家の中で誰が一番好きかと問はれたら、僕は躊躇せずにモオリアックの名を擧げるだらう。
この「窓」(Les Fen※tres)一卷は、ライネル・マリア・リルケがその晩年餘技として佛蘭西語で試みたいくつかの小さな詩集のうちの一つである。
嘉村礒多さんとは三遍ばかりお會ひしました。
御手紙拜見しました。
何か書きたいと思つて、いろいろ考へてゐるのだけれど、つい怠けて――怠けてゐるくらゐ僕の健康にいいことはないので――なかなか思ひ立つて書けないのです。
十月九日こちらはもう秋が深い。
「羅馬を後にして、カンパニヤの野邊を横り、アルバノの山の東を走り、險しき山の崖、石多き川の谷を過ぎ、いつしかカッシノに著けば、近くモンテ・カッシノ山の聳ゆるあり、僧院の建物見ゆ。
辻野君のこと、大へん悲しい。
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