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堀辰雄の全作品(3ページ目)

青空文庫で公開されている堀辰雄の全作品138篇を、おすすめ人気順で表示しています。

101〜138件 / 全138件
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四月十七日追分にてホフマンスタアルの「文集」を讀み續ける。
七月二十五日、信濃追分にてこの前の土曜日にこちらに來るかと思つてゐたが、とうとう來られなかつたね。
主やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。
「吾人の賞美する建築は、その建築家が目的によく副ふやうな手段を用ひて、その柱が、エレクションの麗はしき人像柱の如く、上にかかる重みを苦もなく輕々と支へてゐるやうな建築である。
丸岡明に一九三三年六月二十日、K村にてこつちへ來てから、もう二十日になる。
「こちらで冬を過すのは、この土地のものではない私共には、なかなか難儀ですが、この御堂が本当に好きですので、こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。
夏に先立つて、村の會堂の廣場には辛夷の木に眞白い花が咲く。
一八七五年十二月四日、ボヘミヤの首都プラアグに生る。
この頃私は逢ふ人ごとにモオリアックの小説論の話をしてゐる位だ。
前口上昔タルテイーニと云ふ作曲家がTrillo del Diavolo と云ふソナータを夢の中で作曲したといふ話は大層有名な話である故、讀者諸君も大方御存知だらうが一寸私の手許にある音樂辭典から引用して見ると、何でもタルテイーニは或晩の事、自分の靈魂を惡魔に賣つた夢を見たさうな。
アトリエとその中庭は、節子の死後、全く手入れもせずに放つておかれたので、彼女が繪に描くために丹精して育てられてゐた、さまざまな珍らしい植木は、丁度それらの多くがいま花をさかせる季節なのでごちやごちやにそれぞれの花を簇がらせながら、一層そこいらの荒れ果てた感じを目立たせてゐた。
前口上昔タルティーニと云う作曲家がTrillo del Diavolo[#「Trillo del Diavolo」は斜体]と云うソナータを夢の中で作曲したと云う話は大層有名な話である故、読者諸君も大方御存知だろうが、一寸私の手許にある音楽辞典から引用してみると、何でもタルティーニは或(ある)晩の事、自分の霊魂を悪魔に売った夢を見たそうな。
雉子日記去年の暮にすこし本なんぞを買込みに二三日上京したが、すぐ元日にこちらに引っ返して来た。
その女が僕を見てあんまり親しげに微笑したので、僕はその女について行かずにゐられなかつた。
※丘の上のU塔には、千羽の鳩が棲んでゐた。
「やあ綺麗だなあ……」埃りまみれの靴の紐をほどきながら、ひよいと顏を上げた私は、さう思はずひとりごとを言つた。
秋になりました……秋になりました。
彼女は窓をあけた、さうすると、まるでさういふ彼女を待つてゐたかのやうに、小屋のすぐ傍らの大きな樅(もみ)の木から、アカハラが一羽、うれしさうに啼きながら飛び下りてきて、その窓の下で餌をあさり出した。
プルウストに關する三つの手紙を神西清に宛てて書いてから數ヶ月が過ぎた。
わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山にてる月をみてよみ人しらず上総の守だった父に伴なわれて、姉や継母などと一しょに東に下っていた少女が、京に帰って来たのは、まだ十三の秋だった。
忘れぬる君はなかなかつらからでいままで生ける身をぞ恨むる拾遺集そのころ西の京の六条のほとりに中務大輔なにがしという人が住まっていた。
一九三七年九月十一日、追分にてお手紙を難有う。
それは漆黒の自動車であった。
萩原朔太郎は明治十九年十一月一日*、上州赤城山の麓、利根川のほとりの小さき都會である前橋市に生れた。
私は諸君に、このなんとも説明のしやうのない淺草公園の魅力を、出來るだけ完全に理解させるためには、私の知つてゐるかぎりの淺草についての千個の事實を以てするより、私の空想の中に生れた一個の異常な物語を以てした方が、一そう便利であると信ずる。
おえふがまだ二十かそこいらで、もう夫と離別し、幼兒をひとりかかへて、生みの親たちと一しよに住むことになつた分去れの村は、その頃、みるかげもない寒村になつてゐた。
[#ページの左右中央]閑古鳥[#改ページ]或る夏、一つのさるすべりの木が私を魅してゐた。
……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やっと目がさめた。
一九三二年七月七日今朝、僕はこんな夢を見た。
あたりはしいんとしていて、ときおり谷のもっと奥から山椒喰のかすかな啼(な)き声が絶え絶えに聞えて来るばかりだった。
カフエ・シヤノアルは客で一ぱいだ。
墓畔の家これは私が小学三四年のころの話である。
第一部彼はすやすやと眠っているように見えた。
私はその日はじめて妻をつれて亡き母の墓まいりに往った。
われぞげにとけて寐(ぬ)らめやほととぎすものおもひまさりこゑとなるらん蜻蛉日記その「昔、殿のお通いになっていらしった源の宰相某とか申された殿の御女の腹に、お美しい女君が一人いらっしゃるそうでございます。
第一部一九二六年九月七日、O村にて菜穂子、私はこの日記をお前にいつか読んで貰うために書いておこうと思う。
無花果のある家私は自分の幼年時代の思い出の中から、これまで何度も何度もそれを思い出したおかげで、いつか自分の現在の気もちと綯(な)い交ぜになってしまっているようなものばかりを主として、書いてゆくつもりだ。
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