やさしきこころのうちに愛のひそむは、森のみどり葉がくれに鳥のすむに似たりといふなるに、このはか...
やさしきこころのうちに愛のひそむは、森のみどり葉がくれに鳥のすむに似たりといふなるに、このはかなき草わかばのかげにはいまだ夢さそふにほひもなきがごとく、わが調に慣れぬ胸のおもひは、色をも彩をもなしあへぬをいかにせむ。
哀調の譯者に獻ず例言一、この小册子に蒐めたる詩稿は曾て「太陽」「明星」其他二三の雜誌に載せて公...
哀調の譯者に獻ず例言一、この小册子に蒐めたる詩稿は曾て「太陽」「明星」其他二三の雜誌に載せて公にしたるものなり、ここに或は數句或は數節改刪して出せり。
その大海かたち定めぬ劫初の代に水泡の嵐たゆたふ千尋の底。
その大海かたち定めぬ劫初の代に水泡の嵐たゆたふ千尋の底。
薄田泣菫氏の才華はすでに第一の詩集『暮笛集』に於て、わが新詩壇上いちじるしき誉れとなりしを、こ...
薄田泣菫氏の才華はすでに第一の詩集『暮笛集』に於て、わが新詩壇上いちじるしき誉れとなりしを、こたびの集『ゆく春』の出づるに及びて、また新たに、詩人繍腸の清婉は日ごろ塵に染みたる俗心の底にもひびきぬ。
穉態を免れず、進める蹤を認めずと言はるる新詩壇も、ここに歳華改りて、おしなべてが浴する新光を共...
穉態を免れず、進める蹤を認めずと言はるる新詩壇も、ここに歳華改りて、おしなべてが浴する新光を共にせむとするか、くさぐさの篇什一々に数へあげむは煩はしけれど、めづらしき歌ごゑ殊に妙なるは、秀才泣菫氏が近作、「公孫樹下にたちて」と題せる一篇なるべし。
観相をのみ崇みて、ひたぶるに己が心を虚うせむと力むるあり。
観相をのみ崇みて、ひたぶるに己が心を虚うせむと力むるあり。
長谷川二葉亭氏にはつい此あひだ上野精養軒で開かれた送別會の席上で、はじめてその風※に接したぐら...
長谷川二葉亭氏にはつい此あひだ上野精養軒で開かれた送別會の席上で、はじめてその風※に接したぐらゐであるから、わたくしには氏に對して別に纏つた感想などのありやうもない。
つき姫とは仮に用ひし名なり、もとの事蹟悽愴むしろきくに忍びず、口碑によれば「やよがき姫」なり、...
つき姫とは仮に用ひし名なり、もとの事蹟悽愴むしろきくに忍びず、口碑によれば「やよがき姫」なり、領主が寵をうけしものから、他の嫉みを招くにいたり、事を構へて讒する者あり、姦婬の罪に行はる。
諸君子のひそみに倣つて爆彈のやうな詩を書いて見ようと思はぬでもない。
諸君子のひそみに倣つて爆彈のやうな詩を書いて見ようと思はぬでもない。
わたくしはこのごろジヨオジ・ムウアの書いたものを讀んでゐる。
わたくしはこのごろジヨオジ・ムウアの書いたものを讀んでゐる。
わたくしが長谷川二葉亭氏の名を知りはじめたのは「國民之友」に出た「あひびき」からである。
わたくしが長谷川二葉亭氏の名を知りはじめたのは「國民之友」に出た「あひびき」からである。
わたくしは劇壇の新しい運動が自由劇場の試演とまで漕ぎつけたことに就ては、勿論贊意を表し且つその...
わたくしは劇壇の新しい運動が自由劇場の試演とまで漕ぎつけたことに就ては、勿論贊意を表し且つその成功を祈つてゐた。
藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのも...
藤村君のこれまでの文壇的生涯を時代わけにして、みんなが分擔して書きたいことを書きとめておくのもよい企である。
同時代に生れ出た詩集の、一は盛へ他は忘れ去られた。
同時代に生れ出た詩集の、一は盛へ他は忘れ去られた。
明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。
明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。
鴎外を語るといつても、個人的接触のごとき事実は殆ど無く、これを回想してみるよすがもない。
鴎外を語るといつても、個人的接触のごとき事実は殆ど無く、これを回想してみるよすがもない。
龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。
龍土會といつても誰も知る人のないぐらゐに、いつしか影も形もひそめてしまつてゐる。
「黄櫨成レ列隴※(ひた)[#「月+祭」、107-上-4]間南望平々是海湾未レ至二栄城一三五駅忽...
「黄櫨成レ列隴※(ひた)[#「月+祭」、107-上-4]間南望平々是海湾未レ至二栄城一三五駅忽従リ二林※(ひた)[#「縢」の「糸」に代えて「土」、U+584D、107-上-5]一得タリ二温山ヲ一。
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