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60分以内で読める坂口安吾の中編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている坂口安吾の作品の中で、おおよその読了目安時間が「60分以内」の中編100作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(12,001〜24,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
51〜100件 / 全100件
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この正月元旦に大島上空を飛行機で通過したとき(高度は三千メートルぐらいだったらしい)内輪山の斜面を熔岩が二本半、黒い飴ン棒のように垂れていただけであった。
妙信、京二郎、安川らの一行が特攻基地へ廻されたのは四月の始めであつたが、基地はきゝしにまさる気違ひ騒ぎで、夜毎々々の兵舎、集会所、唄ふ奴、踊る奴、泣く奴、怒る奴、血相変り、殺気だつた馬鹿騒ぎである。
まえがき(小稿の主旨)私がアドルム中毒で病院を退院したのは、この四月二十日頃であったと記憶する。
田舎のメインストリートから私の住居は田舎の小都市ながらメインストリートに位している。
まつたく暗い家だつた。
カメは貧乏大工の一人息子であったが、やたらに寸法をまちがえるので、末の見込みがなかった。
私が精神病院へ入院しているとき、妙な噂が立った。
「ヘタな小説が売れなくなって巷談師になったのか。
朝巻信助は火星人といふ渾名であつたが、それは頭デッカチで口が小さいといふ意味ながら、顔が似てゐるためではなく、内容的な意味であつた。
新聞の静岡版というところを見ると、熱海を中心にした伊豆一帯に、心中や厭世自殺が目立って多くなったようである。
一人の部隊長があって、作戦を立て、号令をかけていた。
人形をだく婦人の話高木貴与子(卅四歳)女礼チャン(六ツ)の事でございますか、動機と申しましても、さあ他人はよく最愛の子供を亡くしたとか、失恋して愛情の倚(よ)りどころを人形に托したと御想像になりますが、これといって特別な訳があるのではございません。
群馬県の上越国境にちかい山間地帯を利根郡という。
支那事変の起つたとき、私は京都にゐた。
前頭ドンジリの千鳥波五郎が廃業してトンカツ屋を開店することになったとき、町内の紺屋へ頼んだノレンが届いてみると「腕自慢、江戸前トンカツ、千鳥足」と意気な書体でそめあげてある。
食堂の二階には僕の外にノンビリさんと称ばれる失業中の洋服職人が泊つてをり、心臓と脚気が悪くて年中額に脂汗を浮かべ、下宿料の催促を受けて「自殺したうなつた」かう呟きながら階段を降りたり上つたりしてゐたが、食堂の娘の家出に就て、女学校の四年生に弁当の配達をさせるのがいけないのだ、と非常にアッサリ断定した。
私は戦争まえまではヤミという言葉を知らなかった。
奈汝何節山居士抑々男女室に居るは人の大倫であり、鰥寡孤独は四海の窮民である。
その晩、リンゴ園の中平が保久呂湯へ降りたのは八時に二十分ぐらい前であった。
スポーツというものは自らたのしむ境地で、それ自体に好戦的な要素はないものだ。
二号の客引き大巻博士が途方にくれながら温泉都市の海岸通りを歩いていると、ポンと背中をたたいた者がある。
大戦争のあとというものは何がとびだすか見当がつかない。
幸吉の叔母さんに煙草雑貨屋を営んでいる婆さんがあって、御近所に三十五の品の良い未亡人がいるから、見合いをしてみなさい、と言う。
木戸六段が中座したのは午後三時十一分であった。
凡そ世に同じ人間は有り得ないゆえ、平凡な人間でもその種差に観点を置いて眺める時は、往々、自分は異常な人格を具へた麒麟児であると思ひ込んだりするものである。
趣味というものは広いものだ。
星のキラキラとした夜更けのことで、大通りの睡り耽つたプラタナの陰には最早すつかり濡れてしまつた街燈が、硝子の箱にタラタラと綺麗な滴を流してゐたが、――シルクハットを阿弥陀に被り僕の腕に縋り乍らフラフラと千鳥足で泳いでゐた霓博士は、突然物凄い顔をして僕を邪慳に突き飛ばした。
二人が知り合つたのは銀座の碁席で、こんなところで碁の趣味以上の友情が始まることは稀なものだが、生方庄吉はあたり構はぬ傍若無人の率直さで落合太平に近づいてきた。
これは素朴な童話のつもりで読んでいただいても乃至は趣向の足りない落語のつもりで読んでいただいてもかまひません私はあるとき牧野信一の家で長谷川といふ指紋の占を業とする人に私の指紋を見せたことがありました。
日本で、もう一度ノンビリ滞在してあの村この町を歩いてみたいと思う土地は、まず飛騨である。
私の父は私の十八の年(丁度東京の大地震の秋であったが)に死んだのだから父と子との交渉が相当あってもよい筈(はず)なのだが、何もない。
伊東伴作は親代々の呉服商であつた。
京都に住もうと思つたのは、京都といふ町に特に意味があるためではなかつた。
母親の執念はすさまじいものだと夏川は思つた。
ヨーロッパとニッポンが初めて接触いたしましたのは、今から四百年ばかり前のことでありますが、その当時に、ニッポンの性格とヨーロッパの性格とが引き起こした摩擦とか、交渉とかいうものを私の見た眼から、皆さんにお話してみたいと思います。
オツネはメクラのアンマだ。
石塚貞吉が兵隊から帰ってきたころは、日本はまったく変っていた。
大震災から三年過ぎた年の話である。
世は道化芝居自宅へ強盗を手引きした青年があったと思うと、人数も同じ四人組で自宅で強盗した絹香さんという二十一の娘が現れた。
「死花」といふ言葉がある。
私が熱海の火事を知ったのが、午後六時。
初夏のうららかなまひるであつた。
冬の明方のことだつた。
生れつき大そう間のわるい人間というものがいるものだ。
悪人ジャーナリズムの話平林たい子おどろいた。
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