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30分以内で読める坂口安吾の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている坂口安吾の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編137作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
51〜100件 / 全137件
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波の上に夜が落ちる。
そのころ二十一であった。
アンタブスという酒が嫌いになる薬の実験者の話が週刊朝日に収録されていたが、効果テキメンというわけにはいかないらしい。
私がそれを意志したわけではなかったのに、私はいつか淪落のたゞなかに住みついていた。
終戦後、私が新人現るの声をきいたのは、升田幸三がはじまりだったようである。
スポーツ談議いま僕の書いている『スキヤキから一つの歴史がはじまる』は、はじめにスポーツマンが主人公になっているせいか、スポーツ精神といったものを書いているせいか、とにかくスポーツマンに評判がいゝ。
いつぞや「近代文学」の人たちに、君たちの雑誌は肩が凝つて仕様がないが詰碁と詰将棋を載せてくれないかナ、と言つて、平野謙に叱られた。
立川文庫の夢の村私たちの少年時代には誰しも一度は立川文庫というものに読みふけったものである。
馬吉の思想は退歩主義というのである。
小心で、そして実直に働いて来た呂木が、急に彼の人生でぐずりはぢめたのは三十に近い頃であつた。
文学といふものは政治と違つて、こと人性に即したものであるから、戦争に負けたから変らなければならないといふ性質のものではない。
昔々、さるところに奇妙な病院ができた。
大井広介に始めて会つたのは昭和十五年大晦日午後七時、葉書で打合せて雷門で出会つた。
(上)スタンダアルやメリメのやうに死後の出版を見越して手紙を書残した作家がある。
雪国生れの人々は気候のために故郷を呪ひがちであつた。
私は友達から放浪児と言われる。
近ごろの世道人心が堕落タイハイしているとか道義が地におちたとか慨嘆するのは当らない。
京都の伏見稲荷の近辺に上田食堂といふのがある。
去年、京都の伏見稲荷前の安食堂の二階に陣どつて「吹雪物語」を書いてゐたころ、十二月のことだつた。
将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。
雑誌「日本小説」に「不連続殺人事件」を連載し、探偵小説の鬼江戸川乱歩先生から過分なる賞讃をいたゞいて以来、僕は文壇随一の探偵小説通と自他ともに許す存在にまつりあげられてしまった。
私は昔から家庭といふものに疑ひをいだいてゐた。
やまさん昔銀座裏に「千代梅」といふおでん屋があつたころ、あそこは奇妙な人物が出入して不思議なところであつたが、桃中軒雲右衛門の妻君といふ婆さんなどと一緒に「やまさん」といふ二十二三の優男が居候してゐた。
この小説は私にとつては、全く悪夢のやうな小説だ。
私はあの頃の自分の心が良く分らない。
今度の選挙で共産党が三十五人になったのは、民自党の二百六十何名同様予想を絶した現象であったが、這般の理由は、だいたい新聞の報ずるようなものであったろう。
私は元来、浅学と同時に物臭の性で、骨を折ってまで物事を理解しようなぞという男らしい精神は余り恵まれていない。
帝銀容疑者、北海道のH画伯のタイホ、上京、二十三日上野駅到着は犯人見物の人出で賑ったそうだが、首実検で、犯人らしくないときまると、たった一日でガラリと人気が変って、今日(八月二十五日)の新聞は、人権侵害、にわかにH画伯に同情あつまり、警視庁は総攻撃をくらっている。
凡そ退屈なるものの正体を見極めてやらうと、そんな大それた魂胆で、私はこの部屋に閉ぢ籠つたわけではないのです。
私は文章を書いていて、断定的な言い方をするのが甚だ気がかりの場合が多い。
住友邦子誘拐事件は各方面に反響をよんだが、童話作家T氏は社会一般の道義の頽廃がこの種の悪の温床であると云ひ、子供達が集団疎開によつて人ずれがしたのも一因だと云ふ。
山の観念の変移我々の祖先達は里から里へ通ふために、谷を渉り、峠を越えはしたものの、今日我々が行ふやうな登山を試みる者はなかつた。
私と貧乏とは切れない縁にあり、この関係は生涯変らざるものであらう。
長島に就て書いてみたところが、忽ち百枚を書いたけれども、重要なことが沢山ぬけているような気がして止してしまった。
探偵小説の愛好者としての立場から、終戦後の二、三の推理小説に就て、感想を述べてみよう。
私は呉清源と二度しか会ったことがない。
農村は淳朴であるといふことが過去の常識であつたけれども、近頃では農民ぐらゐ我利々々なものはないと云つて都会の連中は恨んでゐる。
農民小説の人間性短篇小説は長篇小説の圧縮されたものだといふ考へ方をしてゐた人があつたやうだ。
天文十二年八月二十五日(四百一年前)乗員百余名をのせた支那船が種子ヶ島に漂着した。
私が二十の年に坊主にならうと考へたのは、何か悟りといふものがあつて、そこに到達すると精神の円熟を得て浮世の卑小さを忘れることができると発願したのであるが、実は歪められた発願であつて、内心は小説家になりたかつたのであり、それを諦めたところに宗教的な満足をもとめる心も育つたのであらうと思ふ。
新聞小説は新聞以外では私の小説を読むはずのない人が読者の大部分であるから、神経がつかれて書きたくない。
神田のアテネ・フランセという所で仏蘭西語を習っているとき、十年以上昔であるが、高木という語学の達者な男を知った。
敗戦後の日本に現れたニューフェースの筆頭は公認された日本共産党であったろう。
毎日新聞所載、尾崎咢堂の世界浪人論は終戦後現れた異色ある読物の一つであったに相違ない。
ぬばたまのなにかと人の問ひしとき露とこたへて消なましものをその加茂五郎兵衛の加茂は古い姓です。
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