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10分以内で読める北大路魯山人の短編作品

青空文庫で公開されている北大路魯山人の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編46作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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鮎(あゆ)*食べ頃はあゆのとれ出した若あゆから七月初旬まで。
かつおぶしはどういうふうに選択し、どういうふうにして削るか。
フランス料理の声価は、世界第一のごとく誇大に評判され、半世紀以上に渉って、われわれ日本人を信じさせてきた。
ひとつ変ったたべものの話をしよう。
たい茶漬けは世間に流布され、その看板をかけている料理屋さえ出来てきた。
かねて日本を出発する前から、フランスの鴨料理について、やかましく聞かされていた。
いろいろな事情で、ふつうの家庭では、鮎を美味く食うように料理はできない。
美味い湯豆腐を食べようとするには、なんといっても豆腐のいいのを選ぶことが一番大切である。
私は京都に生まれ、京都で二十年育ったために、京、大阪に詳しい。
ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、「ふぐは食いたし命は惜しし」の古諺に引っかかって味覚上とんだ損失をしている。
山椒魚は手に入れるのが困難だが、反対にいくらでも手に入るもので、しかも、滅多に人の食わないもの、それでいて、相当の珍味を有するものと言えば、日本の蝦蟇(ひきがえる)だろう。
冬、家庭で最も歓迎される料理は、なべ料理であろう。
前に村井弦斎のわた抜きあゆの愚を述べたが、あゆは名が立派だけにずいぶんいかがわしいものを食わせるところがある。
お茶漬けの話にかぎらないが、料理というものは、財力豊かな人のものと、財力不自由な人のものとでは、常に天と地ほどの相違がある。
もしそれ技術的の方面、製作上の道程などを子細に考えるならば、それは殆ど数知れぬまでに未知の世界を知ったと言うべきである。
世間の人は、自分の身近にある有価値な、美味いものを利用することに無頓着のようだ。
ふぐの美味さというものは実に断然たるものだ――と、私はいい切る。
料理と食器の話などいう、こんな平凡な事柄は、今さら私がおしゃべりしませんでも、みなさんは毎日のことでありますから、疾うにこれに関心をお持ちになり、研究もお出来になっておりますことと思いますが、この平凡事も、興味を持って向かってみますと、際限なく面白いものでありまして、私どもは毎日のようにこれを楽しみ、これをよろこびまして、時には踊り上らんばかりに、食事を摂ることも珍しいことではないのです。
元来、美味な料理ができないという理由は、料理する人が鋭敏な味覚の舌をもたないことと、今一つは風情というものの力が、どんなにうまく料理を工夫させるかを知らないからに基因する。
昆布とろというのは、昆布とかつおぶしの煮だしだけでつくるとろろ汁である。
五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか...
ある晴れた日の午後であった。
倉橋さんから先日彩壺会の講演の依頼を受けました。
ひぐらしの鳴き声が涼しい。
大聖寺の臣後藤才次郎なるもの徳川の万治年間、九州有田の製陶秘奥を探り、帰来所謂古九谷焼が創まる。
料理は食器なしでは存在しないようです。
近来、食べ物のことがいろいろの方面から注意され、食べ物に関する論議がさかんになってきた。
味噌汁は簡単にできるものでありながら、その実が、日常どこの家庭でも美味くつくられてはいないようなので、一言申し上げようと思う。
良寛は「好まぬものが三つある」とて、歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理とを挙げている。
本秋も都合よく、河井寛次郎氏の年中行事である東京高島屋に於ける製作展を観ることが出来た。
これから当分はさかなの洗いづくりの季節である。
古伊賀、古志野は日本の生んだ純日本的作風を有することが先ず第一の権威に価いする。
今年も高島屋であなたの陶器展を見せてもらいました。
なぜあなたは陶器を作るようになったか、とよく人から訊ねられるが、自分は言下に、それは自分の有する食道楽からそもそもが起こっていると答える。
ある日、ある女人と、こんな話をした。
ある日……なんでもわたしの話はある日である。
今後に望まれる工芸作陶界は、まずそれに相応しい可能の許す限りの高き教養を基礎に、自由思想を育成し、真の自由人と思想家の出現に努め、この作陶人をして思い切った自由を作陶の上に振舞わしめざるを得ない。
「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。
美味い料理を拵える秘訣――美味いものを食う秘訣――この秘訣を知ることが一番大事なことだ。
一口に乾山と言えば、乾山の陶器を想い出すのが世間の通例である。
私はかつて『星岡』誌上に高橋箒庵氏の千慮の一失ともいうべき、音羽護国寺境内における名燈籠写し物に属する碑文を見て、その撰もその書も実は高橋義雄氏のものに非ざるを不可として、どうしてそんな偽り事をやられるものかを高橋氏に質すところあった。
多くの文明諸国におけると同じ様に、日本でも、やきもの、つまり陶磁器が日常生活の什器として使用され始めた時期は、遠く紀元前数世紀に遡ることが出来る。
あるやんごとなき御方の御下問に奉答した私の言葉の要約を摘記する。
私はどうして陶磁器ならびに漆器などをつくるようになったか――みなさま大方はご存じのことと思いますが、私は料理を始めてから、ここにこうして窯を築き、陶磁器ならびに漆器類を、みずからつくっています。
明の古染付に対する大体の観察は上巻に於てこれを述べた。
食物はなんとしても「美味く」あって欲しい。
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