茶話2・27フランク・ハリスと云へば聞えた英国の文芸家だが、(ハリスを英人だと言へば或(あるひ...
茶話2・27フランク・ハリスと云へば聞えた英国の文芸家だが、(ハリスを英人だと言へば或(あるひ)は憤り出すかも知れない、生れは愛蘭で今は亜米利加にゐるが、自分では巴里人の積りでゐるらしいから)今度の戦争について、持前の皮肉な調子で、「独逸は屹度最後の独逸人となるまで戦ふだらう、露西亜人もまた最後の露西亜人となるまで戦ふだらうが、唯英吉利人は――さうさ、英吉利人は最後の仏蘭西人がといふところまでは行るに相違ない」と言つてゐる。
夕方ふと見ると、植込の湿つぼい木かげで、真赤なまんりやうの実が、かすかに揺れてゐる。
夕方ふと見ると、植込の湿つぼい木かげで、真赤なまんりやうの実が、かすかに揺れてゐる。
犬養木堂の硯の話は、あの人の外交談や政治談よりはずつと有益だ。
犬養木堂の硯の話は、あの人の外交談や政治談よりはずつと有益だ。
欧洲大戦の時、西部戦線にゐた英軍の塹壕内では、死んだキツチナア元帥が俘虜になつて独逸にゐるとい...
欧洲大戦の時、西部戦線にゐた英軍の塹壕内では、死んだキツチナア元帥が俘虜になつて独逸にゐるといふ噂が頻りにあつた。
村井吉兵衛が伊達家の入札で幾万円とかの骨董物を買込んだといふ噂を伝へ聞いた男が、「幾ら名器だつ...
村井吉兵衛が伊達家の入札で幾万円とかの骨董物を買込んだといふ噂を伝へ聞いた男が、「幾ら名器だつて何万円は高過ぎよう。
少し前の事だが、Kといふ若い法学士が夜更けて或(ある)料理屋の門を出た。
少し前の事だが、Kといふ若い法学士が夜更けて或(ある)料理屋の門を出た。
片山国嘉博士が名代の禁酒論者であるのは知らぬ者はない。
片山国嘉博士が名代の禁酒論者であるのは知らぬ者はない。
先日硯と阿波侯についての話しを書いたが、姫路藩にも硯について逸話が一つある。
先日硯と阿波侯についての話しを書いたが、姫路藩にも硯について逸話が一つある。
故人小杉榲邨(すぎむら)博士の遺族から売りに出した正倉院の御物が世間を騒がせてゐるが、同院が東...
故人小杉榲邨(すぎむら)博士の遺族から売りに出した正倉院の御物が世間を騒がせてゐるが、同院が東大寺所管時代の取締がいかにぞんざいであつたかを知るものは、かうした御物が小杉博士の遺族から持ち出されたといつて、単にそれだけで博士を疑ふのはまだ早いやうに思はれる。
手品といふものは、余り沢山見ると下らなくなるが、一つ二つ見るのは面白いものだ。
手品といふものは、余り沢山見ると下らなくなるが、一つ二つ見るのは面白いものだ。
すべての草木が冬枯れはてた後園の片隅に、水仙が五つ六つ花をつけてゐる。
すべての草木が冬枯れはてた後園の片隅に、水仙が五つ六つ花をつけてゐる。
桜こそは、春の花のうちで表現の最もすぐれたものの一つであります。
桜こそは、春の花のうちで表現の最もすぐれたものの一つであります。
私が飛鳥の里に來たのは、秋も半ばを過ぎて、そこらの雜木林は金のやうに黄いろく光つてゐた。
私が飛鳥の里に來たのは、秋も半ばを過ぎて、そこらの雜木林は金のやうに黄いろく光つてゐた。
佐紀の村外れから、郡山街道について南へ下ると、路の右手に當つて、熟れかかつた麥の穗並の上に、ぬ...
佐紀の村外れから、郡山街道について南へ下ると、路の右手に當つて、熟れかかつた麥の穗並の上に、ぬつとした喜光寺の屋根が見える。
郷里にゐる弟のところから、粗末な竹籠の小荷物が、押潰されたやうになつたまま送りとどけられて来た。
郷里にゐる弟のところから、粗末な竹籠の小荷物が、押潰されたやうになつたまま送りとどけられて来た。
私は西大寺をたづねて、一わたり愛染堂の寶物を見終つた。
私は西大寺をたづねて、一わたり愛染堂の寶物を見終つた。
秋篠寺を出て、南へとぼとぼと西大寺村へ下つて來ると、午過ぎの太陽が、容赦もなく照りつけるので、...
秋篠寺を出て、南へとぼとぼと西大寺村へ下つて來ると、午過ぎの太陽が、容赦もなく照りつけるので、急にくらくらと眩暈(めまひ)がしさうになつて來た。
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