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室生犀星の全作品

青空文庫で公開されている室生犀星の全作品63篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全63件
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序曲芽がつつ立つナイフのやうな芽がたつた一本すつきりと蒼空につつ立つ抒情詩の精神には音楽が有つ微妙な恍惚と情熱とがこもつてゐて人心に囁く。
みまかりたまひし父上におくるいまは天にいまさむうつくしき微笑いまわれに映りて、我が眉みそらに昂る……。
一、あたいは殺されない「おじさま、お早うございます。
[#ページの左右中央]大正八年十月[#改ページ]私は七十に近い父と一しょに、寂しい寺領の奥の院で自由に暮した。
[#ページの左右中央]大正八年十一月[#改ページ]遠いところで私を呼ぶ声がするので、ふと眼をさますと、枕もとに宿のおかみが立っていた。
[#ページの左右中央]大正八年八月[#改ページ]私はよく実家へ遊びに行った。
そのころ私は不思議なこころもちで、毎朝ぼんやりその山を眺めていたのです。
けふはえびのように悲しい角やらひげやらとげやら一杯生やしてゐるがどれが悲しがつてゐるのか判らない。
「星より來れる者」このごろ詩はぽつりぽつりとしかできない。
それは古い沼で、川尻からつづいて蒼(あお)くどんよりとしていた上に、葦(あし)やよしがところどころに暗いまでに繁っていました。
かれは時には悩ましげな呉服店の広告画に描かれた殆(ほとん)ど普通の女と同じいくらいの、円い女の肉顔を人人が寝静まったころを見計って壁に吊るしたりしながら、飽くこともなく凝視めるか、そうでなければ、やはり俗悪な何とかサイダアのこれも同じい広告画を壁に張りつけるかして、にがい煙草をふかすかでなければ冷たい酒を何時までも飲みつづけるのである。
三階の家は坂の中程にあった。
漁師の子息の李一は、ある秋の日の暮れに町のある都へ書物を買いに出掛けました。
電燈の下にいつでも座っているものは誰だろう、――いつだって、どういう時だって、まじまじと瞬きもしないでそれの光を眺めているか、もしくはその光を肩から腰へかけて受けているかして、そうして何時も眼に触れてくるものは、一たい何処の人間だろう、――かれはどういう時でも何か用事ありげな容子で動いているが、しかしその用事がなくなると凝然と座ってそして物を縫うとか、あるいは口をうごかしているとか、または指を折って月日の暦を繰っているかしている、――かれのまわりには白い障子と沈丁花のような電燈とが下って...
このごろ私の随筆集が出たので出版元から是非内田百間さんに批評風な紹介を書いて貰ひたいと頼むと、内田さんは以前室生さんがあまり褒めて呉れたので、改めて褒め返すことが変だといふ理由で控へられたさうである。
京にのぼる供は二十人くらい、虫の垂衣で蔽うた馬上の女のすがたは、遠目にも朝涼の中で清艶を極めたものであった。
下野富田の村の菊世という女は、快庵禅師にその時の容子を話して聞かした。
これは何となく人間の老境にかんじられるものを童話でも小説でも散文でもない姿であらわそうとしたものである。
髪結弥吉は、朝のうちのお呼びで、明るい下り屋敷の詰所で、稚児小姓児太郎の朝髪のみだれを撫(な)でつけていた。
城下の町なみは、古い樹木に囲まれていたため、よく、小間使いや女中、火の見仲間などが、夕方近い、うす暗がりのなかで、膝がしらを斬られた。
齒醫者への出がけに、ななえが來た。
私はいつも其處の路次へ這入ると、あちこちの暗い穴のやうな通り拔けや、墨汁のやうな泥寧の小路から吐き出される種々な階級の人々を見た。
むかし加賀百万石の城下に、長町という武士町がありました。
二丁目六十九番地といふのは、二軒の家を三軒にわけたやうな、入口にすぐ階段があつて、二階が上り口の四疊半から見上げられる位置にあつた。
きょうも鬱々としてまた愉しく、何度も置きかえ、置く場所をえらび、光線の来るところに誘われて運び、或いはどうしても一個の形態でさだまらない場合、二つあてを捉え、二つの壺が相伴われて置かれると、二つともに迫力を失うので、また別々に引き放して飾って見たりした、何の事はない相当重みのある陶器をけさからずっと動かしつづめにいた。
男が出かけようとすると、何時の間にか女が音もなく玄関に立っていて、茶色の帽子をさし出した。
まだそんなに親しい方ではなく、多分三度目くらいに訪ねた或日、芥川の書斎には先客があった。
経之の母御は朝のあいさつを交したあとに、ふしぎそうな面持でいった。
一人の吃りの男に、道順を尋ねる二人づれの男がゐて、道すぢのことで、三人が烈しく吃り合ひながら、あちらの道を曲るのだとか、こちらの小路からはいつて行くのだとか言つて、ちんぷん、かんぷん言葉が亂れて譯が判らなくなつて了つた。
あしからじとてこそ人の別れけめ何かなにはの浦はすみうき大和物語寝についてもいうことは何時もただ一つ、京にのぼり宮仕して一身を立てなおすことであった。
夕方になると、一人の童子が門の前の、表札の剥げ落ちた文字を読み上げていた。
「お姉さま、――」小さい弟は何時の間にか川べりの石段の上に腰をかけ、目高をすくっている姉に声をかけた。
きりぎりすは夜明けの四時になると鳴き止む。
萩原朔太郎二十年の友。
つくばいつれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。
劔(つるぎ)岳、冠松、ウジ長[#ルビの「ちよう」はママ]、熊のアシアト、雪渓、前劔(つるぎ)粉ダイヤと星、凍つた藍の山々、冠松、ヤホー、ヤホー、廊下を下がる蜘蛛(くも)と人間、冠松は廊下のヒダで自分のシワを作つた。
子供ができてから半年ほど経つと、国の母から小包がとどき、ひらいてみると、小さい太鼓と笛とが入つてあつた。
尊兄の詩篇に鋭角な玻璃状韻律を発見したのは極めて最近である。
尊兄の詩篇に鋭角な玻璃状韻律を發見したのは極めて最近である。
懸巣は猛鳥で肉食鳥であるが、時々、爪を剪ってやるために籠から掴み出さなければならぬ。
何時か懸巣のことを本紙で書いたことがあるが、その後の彼女の真似声は一層種々につかい分けをして、殆ど、かぞえ切れないくらいである。
純日本的な美しさの最も高いものは庭である。
冬になると庭を眺める時がすくない。
新橋駅に降りた私はちいさな風呂敷包と、一本のさくらの洋杖を持つたきりであつた。
わたしの今住んでいるところは、川原につづいた貸家で庭には樹も草もない。
曇つた十月の或る日。
虎の子に似てゐたブルドツクの子どもは、鉄といひ、鉄ちやんと呼ばれてゐた。
萩原朔太郎君がいつか「詩に別れた室生君へ」と題した僕に宛てた感想文のなかに、特に俳句が老年者の文学であつて恰も若い溌溂とした文学作品でないことを述べてあつたが、僕はこれを萩原君に答へずに置いたのは、この問題を釈くことが可成りに面倒であり簡単に言ひ尽せないからであつた。
故郷にて保則様、十一月二十三日の御他界から百日の間、都に通じる松並木の道を毎夜参りますうちに、冬は過ぎ春がおとずれ、いまでは、もう、松の花の気はいがするようになりました。
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