そのころ私は不思議なこころもちで、毎朝ぼんやりその山を眺めていたのです。
そのころ私は不思議なこころもちで、毎朝ぼんやりその山を眺めていたのです。
それは古い沼で、川尻からつづいて蒼(あお)くどんよりとしていた上に、葦(あし)やよしがところど...
それは古い沼で、川尻からつづいて蒼(あお)くどんよりとしていた上に、葦(あし)やよしがところどころに暗いまでに繁っていました。
漁師の子息の李一は、ある秋の日の暮れに町のある都へ書物を買いに出掛けました。
漁師の子息の李一は、ある秋の日の暮れに町のある都へ書物を買いに出掛けました。
電燈の下にいつでも座っているものは誰だろう、――いつだって、どういう時だって、まじまじと瞬きも...
電燈の下にいつでも座っているものは誰だろう、――いつだって、どういう時だって、まじまじと瞬きもしないでそれの光を眺めているか、もしくはその光を肩から腰へかけて受けているかして、そうして何時も眼に触れてくるものは、一たい何処の人間だろう、――かれはどういう時でも何か用事ありげな容子で動いているが、しかしその用事がなくなると凝然と座ってそして物を縫うとか、あるいは口をうごかしているとか、または指を折って月日の暦を繰っているかしている、――かれのまわりには白い障子と沈丁花のような電燈とが下って...
下野富田の村の菊世という女は、快庵禅師にその時の容子を話して聞かした。
下野富田の村の菊世という女は、快庵禅師にその時の容子を話して聞かした。
髪結弥吉は、朝のうちのお呼びで、明るい下り屋敷の詰所で、稚児小姓児太郎の朝髪のみだれを撫(な)...
髪結弥吉は、朝のうちのお呼びで、明るい下り屋敷の詰所で、稚児小姓児太郎の朝髪のみだれを撫(な)でつけていた。
二丁目六十九番地といふのは、二軒の家を三軒にわけたやうな、入口にすぐ階段があつて、二階が上り口...
二丁目六十九番地といふのは、二軒の家を三軒にわけたやうな、入口にすぐ階段があつて、二階が上り口の四疊半から見上げられる位置にあつた。
あしからじとてこそ人の別れけめ何かなにはの浦はすみうき大和物語寝についてもいうことは何時もただ...
あしからじとてこそ人の別れけめ何かなにはの浦はすみうき大和物語寝についてもいうことは何時もただ一つ、京にのぼり宮仕して一身を立てなおすことであった。
つくばいつれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。
つくばいつれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。
虎の子に似てゐたブルドツクの子どもは、鉄といひ、鉄ちやんと呼ばれてゐた。
虎の子に似てゐたブルドツクの子どもは、鉄といひ、鉄ちやんと呼ばれてゐた。
萩原朔太郎君がいつか「詩に別れた室生君へ」と題した僕に宛てた感想文のなかに、特に俳句が老年者の...
萩原朔太郎君がいつか「詩に別れた室生君へ」と題した僕に宛てた感想文のなかに、特に俳句が老年者の文学であつて恰も若い溌溂とした文学作品でないことを述べてあつたが、僕はこれを萩原君に答へずに置いたのは、この問題を釈くことが可成りに面倒であり簡単に言ひ尽せないからであつた。
故郷にて保則様、十一月二十三日の御他界から百日の間、都に通じる松並木の道を毎夜参りますうちに、...
故郷にて保則様、十一月二十三日の御他界から百日の間、都に通じる松並木の道を毎夜参りますうちに、冬は過ぎ春がおとずれ、いまでは、もう、松の花の気はいがするようになりました。
お川師堀武三郎の留守宅では、ちょうど四十九日の法事の読経も終って、湯葉や精進刺身のさかなで、も...
お川師堀武三郎の留守宅では、ちょうど四十九日の法事の読経も終って、湯葉や精進刺身のさかなで、もう坊さんが帰ってから小一時間も経ってからのことであった。
女が年上であるということが、女を悲しがらせ遠慮がちにならせる。
女が年上であるということが、女を悲しがらせ遠慮がちにならせる。
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