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佐藤春夫の全作品

青空文庫で公開されている佐藤春夫の全作品47篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜47件 / 全47件
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フラテ(犬の名)は急に駆け出して、蹄鍛冶屋の横に折れる岐路のところで、私を待っている。
太宰治は井伏鱒二は悪人なりの一句を言ひ遺して死んだと聞く。
I dwelt aloneIn a world of moan,And my soul was a stagnant tide,Edgar Allan Poe私は、呻吟の世界でひとりで住んで居た。
私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。
その男はまるで仙人のように「神聖なうす汚なさ」を持っていました。
先生に関しては約半世紀の追想があり、既に蕪稿も千枚近く書いて来た。
わたくしは老来、毎年少しづつ肥満して今はいつも十八貫以上、下着なども普通のものでは間に合はないが、こんな男一疋の体重になつたのは四十以後で、少年の頃は骨と皮ばかりの痩せつぽち、それでゐて頑健この上なし樫の木のやうなと云はれた体質で、五尺六寸に近い身長で体重は十二貫あるなしであつた。
芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。
僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。
「青い花」に出てゐた一見童話風の、しかしその内部には近代人の自己分裂と精神薄弱の自己反省を伴つた現実感を、風の如く、さりげなくしみじみと漂はせて骨格の卑しくないもののあるのを発見したのは一年も前の事であつたらう。
慈善デー下層社会――どん底の世界。
最後まで理智を友としたやうに見える芥川龍之介を弔ふためには、故人もこれを厭ふたところの感傷の癖をさけて、評論の形を以てこれを爲すことを、僕の友人の良き靈は宥してくれるだらうと思ふ。
これはただごちそうのお話にすぎないが、おめでたい記念号の読み物にふさはしくちよつと景気のいい題をつけて置かう。
自分と芥川との交友関係は、江口渙を中間にして始つた。
――あの人があんなふうにして不意に死んだのでなかったら、仮にまあ長い患のあとででもなくなったのであったら、きっと、あなたと私とのことを、たとえばいいとか決していけないとか、何かしらともかくもはっきりと言い置いたろう……わたしはどうもそんな気がするのです。
探偵小説に興味がないこともないが、常に忙しいのと、生来の怠け癖とで読めもしないのをコツコツ洋書を読む根気もないので、十分の確信をもつて探偵小説の話ができる訳のものではない。
現代と宗教現代は科学の時代であるという。
うたちゃんは、三人兄弟の末で、来年からは幼稚園へ行こうというのですが、早くから、自分ではお姉ちゃん気どりで「えいちゃん」「えいちゃん」と、自分をよんでいます。
わたくしは直接には奥様とお呼びしてかげでは晶子さんと呼び慣はした。
孤高の生涯に有終の美荷風先生の晩年の生活を、一種偏執狂的なものと見るか、それとも哲人の姿と見るかは人それぞれの眼によるが、そのさびしいような華やかな生涯が、逝く春の一夜人知れぬうちに忽然と終って、警察の眼には一個の変死体扱いされたのは世間並の眼には悲惨なものと見えるだろうと思うが、我々、偏奇館主人荷風先生の文学精神を知る者にとっては、裏長屋の庶民を愛した先生の信念を徹底させてその孤高の生涯に有終の美をなさせたものとして十字架に上ったキリスト並みに有難いものに思える。
二十代の時鴎外先生には五、六回お目にかかった。
朔太郎の名も作品も犀星と「感情」をやつてゐた当初から知らないではなかつたが特に注意するやうになつたのは、世間一般とともに彼の処女詩集「月に吠える」が出てからの事であつた。
坂口安吾の文学はいささか奇矯で反俗的なところはあつても、文学としては少しも病的なものではなく、高邁な精神をひそめたすぐれたものと思ふ。
某年某月某日――この日づけは當時の彼の手紙を見ればはつきりわかる。
堀辰雄とは何時から交際をはじめたらうか。
老醜と云ふ言葉があるが、自分のむかしから最もきらいな言葉の一つである。
堀口大学は越後長岡の藩士の家に、父九万一の東京帝国大学に遊学中、その本郷の寓に生れたといふ。
僕に「詩人馬鹿」といふ言葉がある。
わがふるさとは熊野の首邑(ゆう)新宮(シングウと読んで下さい)古来の名邑である。
オリンポス遠きギリシャのいにしへの神々の火は海を越え荒野をよぎりはるばると渡り來て今ここに燃えにぞ燃ゆる青春の命のかぎり若人ら力つくしてこの國の世界の祭喜ばん富士も筑波もはためきて五輪の旗やへんぽんとひるがへる日本の秋さはやかに東海の我らが小島み空より四方の海よりこの星のいたるところのすぐれたる若人迎へ國々の旗立てならべ萬國は一つ心に美...
すぐれた詩人といふものを見るに、同時に鋭い批評家であり、俊敏なジャーナリスト(時務を知る人)を兼ねてゐる。
「針金細工で詩をつくれ」――といふのは、わが畏友堀口大学の一般詩人に対する忠告であつて、亦、実に彼が近代詩の創作に赴かんとするに当つての宣言であつたやうに思はれる。
今朝、室生君からの手紙を枕頭に受け取つて、まだ起きもせずに開いて見ると、忘春詩集に序を書けといふのである。
二十一日午後十一時ごろ、すでに床について、まさに眠りが訪れようとしていたわたくしは二つの新聞社から起こされて、宇野君の訃に驚かされた。
探偵小説といふ言葉は、すでに余り面白い言葉でない。
谷崎文学の特長はゆつたりとしたゆたかな風格の重厚なところにある。
小泉八雲全集を読んで一番感心することは、この詩人が同時にえらい批評家だといふ一事である。
井伏鱒二君の文は虚実相半して自ら趣を成すものである。
白鳥先生はわたくしにとつても最も思ひ出の深い人である。
「ぼくはもう極楽行きは見合はせることにきめたよ」と或る時、芥川龍之介が、例のいたずらつぽい眼をかがやかしながら、わたくしに話しかけたことがあつた。
僕は去年の今ごろ、台湾の方へ旅行をした。
お前はきつと新詩社のころの啄木は知つてゐるだらう。
白鳥先生のあとを承けてこの稿を草するのはわが光栄とするところである。
「文学青年といふ奴はどうしてかうも不愉快な代物ばかり揃つてゐるのであらう。
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