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山本周五郎の全作品

青空文庫で公開されている山本周五郎の全作品70篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全70件
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はじめに浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場とで知られていた。
序の章万治三年七月十八日。
その門の前に来たとき、保本登はしばらく立停って、番小屋のほうをぼんやりと眺めていた。
一の小雨が靄(もや)のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。
街へゆく電車その「街」へゆくのに一本の市電があった。
もういちど悲鳴のような声をあげて、それから女の喚きだすのが聞えた。
序章天保五年正月二日に、本所の亀戸天神に近い白河端というところで、中村仏庵という奇人が病死した。
志保は庭へおりて菊を剪(き)っていた。
北向きの小窓のしたに机をすえて「松の花」という稿本に朱を入れていた佐野藤右衛門は、つかれをおぼえたとみえてふと朱筆をおき、めがねをはずして、両方の指でしずかに眼をさすりながら、庭のほうを見やった。
梅雨にはいる少しまえ、保本登は自分から医員用の上衣を着るようになった。
十二月になると一日一日に時を刻む音が聞えるようである。
「病人たちの不平は知っている」新出去定は歩きながら云った、「病室が板敷で、茣蓙(ござ)の上に夜具をのべて寝ること、仕着が同じで、帯をしめず、付紐を結ぶことなど、――これは病室だけではなく医員の部屋も同じことだが、病人たちは牢舎に入れられたようだと云っているそうだ、病人ばかりではなく、医員の多くもそんなふうに思っているらしいが、保本はどうだ、おまえどう思う」「べつになんとも思いません」そう云ってから、登はいそいで付け加えた、「却って清潔でいいと思います」「追従を...
国許の人間は頑固でねじけている。
その藩に伝わっている「杏花亭筆記」という書物には、土井悠二郎についてあらまし次のように記している。
朝田隼人が江戸から帰るとすぐに、小池帯刀が訪ねて来た。
「鰍(かじか)やあ、鰍を買いなさらんか、鰍やあ」うしろからそう呼んで来るのを聞いてお高はたちどまった。
節子が戸田英之助と内祝言の盃(さかずき)をとり交したのは、四月中旬の雨の降る日であった。
本田昌平は、ものごとをがまんすることにかけては、自信があった。
吉良の話しがあまりに突然であり、あまりに思いがけなかったので、紀平高雄にはそれがすぐには実感としてうけとれなかった。
一の功刀伊兵衛がはいって行ったとき、そこではもう講演が始っていた。
「またよけえなことをする、よしと呉れよ、そんなところでどうするのさ、そんなとこ男がいじるもんじゃないよ、だめだったら聞えないのかね、あたしがせっかく片づけたのにめちゃくちゃになっちまうじゃないか、よしと呉れよ、よけえなことしないで呉れってんだよ」その長屋の朝は、こういう叫び声で始まる。
柿崎道場新八の顔は血のけを失って蒼白く、汗止めをした額からこめかみへかけて膏汗がながれていた。
はじめに浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場とで知られていた。
彼は立停って、跼(かが)み、草履の緒のぐあいを直す恰好で、すばやくそっちへ眼をはしらせた。
双子六兵衛は臆病者といわれていた。
浅草の馬道を吉原土堤のほうへいって、つきあたる二丁ばかり手前の右に、山の宿へと続く狭い横丁があった。
その物音は初め広縁のあたりから聞えた。
彼に対する一族の評祖父の(故)小出鈍翁は云った。
川の音七月中旬の午後、――ひどく暑い日で、風もなく、白く乾いた奥州街道を、西にかたむいた陽が、じりじりと照らしていた。
――仲井天青が死んだのを知ってるかい。
しっかりしろ三十六、貴様は挫けるのか、世間の奴等に万歳を叫ばし度いのか、元気を出せ、貴様は選ばれた男だぞ、そして確りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ、貴様にはその力があるんだぞ、忘れるな、自分を尚べ大事にしろ。
その日は事が多かった。
茂次は川越へ出仕事にいっていたので、その火事のことを知ったのは翌日の夕方であった。
十二月にはいってまもない或る日の午後八時過ぎ、――新出去定は保本登と話しながら、伝通院のゆるい坂道を、養生所のほうへと歩いていた。
梅雨があけて半月ほど経ったころ、狂女のおゆみが自殺をはかった。
意地の座甲斐が「席次争い」の騒ぎを知ったのは、矢崎舎人の裁きがあって、十日ほど経ったのちのことであった。
風雪の中嘉永五年五月はじめの或る日、駿河のくに富士郡大宮村にある浅間神社の社前から、二人の旅装の青年が富士の登山口へと向っていった。
「すまない、そんなつもりじゃあなかったんだ、酔ってさえいなければよかったんだが、どうにもしようがない、本当にすまないと思ってるんだ」半三郎はこう云って頭を垂れた。
十二月二十日に、黄鶴堂から薬の納入があったので、二十一日は朝からその仕分けにいそがしく、去定も外診を休んで指図に当った。
俗に「伊豆さま裏」と呼ばれるその一帯の土地は、松平伊豆守の広い中屋敷と、寛永寺の塔頭に挾(はさ)まれて、ほぼ南北に長く延びていた。
一の城からさがった孝之助が、父の病間へ挨拶にいって、着替えをしに居間へはいると、家扶の伊部文吾が来て、北畠から使いがあったと低い声で云った。
「今夜は籾摺(もみす)りをかたづけてしまおう、伊緒も手をかして呉れ」夕食のあとだった、良人からなにげなくそう云われると、伊緒はなぜかしらにわかに胸騒ぎのするのを覚え、思わず良人の眼を見かえした。
「どうかしたのか、顔色がすこしわるいように思うが」直輝の気づかわしげなまなざしに加代はそっと頬をおさえながら微笑した。
「いやそうではない」新沼靱負はしずかに首を振った、「……おかやに過失があったとか、役に立たぬなどというわけでは決してない、事情さえ許せばいて貰いたいのだ。
「そういう高価なものは困りますよ、そちらの鮒(ふな)を貰っておきましょう」書庫へ本を取りにいった戻りにふとそういう妻の声をきいて、太宰は廊下の端にたちどまった。
第一席天一坊は大逆犯人のこと並びに諸説巷間を賑わすこと徳川八代将軍吉宗の時代に、天一坊事件という騒動があった。
はたはたと舞いよって来たちいさな蛾(が)が、しばらく燭台のまわりで飛び迷っていたと思うと、眼にみえぬ手ではたかれでもしたようにふいと硯海に湛えた墨の上へおち、白い粉をちらしながらむざんにくるくると身もだえをした。
「ちょうど豆腐をかためるようにです」良人の声でそう云うのが聞えた。
「今日は、そんなものを着てゆくのか」「はい」小間使の八重は、熨斗目麻裃を取り出していた。
さかまき靱負之助は息をはずませていた、顔には血のけがなかった、おそらくは櫛(くし)をいれるいとまもなかったのであろう、乱れかかる鬢(びん)の白毛は燭台の光をうけて、銀色にきらきらとふるえていた。
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