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田山花袋の全作品

青空文庫で公開されている田山花袋の全作品103篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全103件
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小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠(かれ)は考えた。
山手線の朝の七時二十分の上り汽車が、代々木の電車停留場の崖下を地響きさせて通るころ、千駄谷の田畝をてくてくと歩いていく男がある。
四里の道は長かった。
渠(かれ)は歩き出した。
たしか長春ホテルであつたと思ふ。
五六人集つたある席上で、何ういふ拍子か、ふと、魯西亜の小説家イ、エス、ツルゲネーフの作品に話が移つて、ルウヂンの末路や、バザロフの性格などに、いろ/\興味の多い批評が出た事があつたが、其時なにがしといふ男が急に席を進めて、「ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度猟夫手記の中にでもありさうな人物に田舎で邂逅(でつくは)して、非常に心を動かした事があつた。
それは十一月の末であつた。
他を批評するといふ心は、他に対して未だ完全の理解を持つてゐない心である。
一夜すさまじく荒れた颱風の朝、Kはいつもよりも少し遅れて家を出た。
静夫はその高台のどんな細い道をもよく知つてゐた。
私達が北満洲に行つた時の話ですが、あのセミヨノフ将軍の没落した後のロシアの避難民のさまは悲惨を極めたものだつたさうです。
第一に私の気に入つたのは、この作が何等の傾向も、思想も、宣伝も持つてゐないことだつた。
大学生のKが春の休みに帰つてからもう三日になつた。
芸術と実行実行と芸術との問題は、今でも新しい問題であらねばならぬ。
停車場から町の入口まで半里位ある。
お互に粗い感情や粗い理窟で喧嘩したり議論したりしても仕方がない。
深い心理に入つて見ることが第一だ。
新世紀に出た正宗白鳥君の『古手帳』の中に、『蟲齒が痛んで苦んだ。
本能は人間の如何ともすべからざるものである。
人生の爲めの藝術を後藤宙外君は本誌の前號で説いて居る。
私は思ふ、調子の惡い文章は書いても、無駄の多い文章は書き度くない、と。
『一國の主都』と言ふ大きな繪入の書籍を十年前にある處で見たことがある。
バザンの[#「バザンの」は底本では「バサンの」]田園小説を二三册讀んだ。
いかなる事象をも――口に言ふに忍びざるほどの悲慘、殘忍、冷酷のことをも、明かに其心に映し得るやうに、作者は常に眞率な無邪氣な心を持つて居なければならぬ。
マダム・マアテルリンクがこの頃『マダム・ボワリーの故郷』といふ文を書いた。
私は童話でも書くやうな、または刺繍でも見るやうな気持で、昔の恋愛の心の光景を眺め返して見たのでした。
春といふと、曾て紀州にあそんだ時のことが思ひ出されて来た。
突然私は犬の凄じく吼える声が夜の空気を劈(つんざ)いてきこえて来るのを耳にした。
金剛山にある二つのホテル、中でも長安寺にあるものは面白い。
明治四十四年の元日は上諏訪温泉で迎へた。
志摩から伊勢、紀伊と旅して行つた時のことが第一に思ひ出される。
高原から下りた処には、両岸から絶壁が迫つて、綺麗な谷川が流れて居た。
私達が外国文学を研究する時分には、本がないので非常に困つたものである。
樹々の若葉の美しいのが殊に嬉しい。
種族が異つても、国が異つても、文化が異つても、矢張人間だから、考へることが似たり寄つたりである。
私は渓谷がすきで、よくあちこちに出かけた。
さうですね、避暑についての話と言つても、別に面白いこともありませんね。
今度の大戦の印象の多い中で、私は一番真剣とか一心とか言ふものゝ力の強いことを味はつた。
四月から、何処に行つても面白い。
県庁のある町には一種のきまつた型がある。
「行きますか?」片語の日本語でかう李が言ふと、Hは、「何うします?」と言つて私の方を見た。
静かな芸術から動いた芸術に進んで行つた。
私のこれまでに見て来たところでは、芸術をやるものは多くは無であるやうである。
現実といふ意味現実に接触したところに今の新興文芸は生れたのだと言はれる。
そこに来た時には、二人は思はずはつとした。
矢張私達の問題は、作者の頭の中のイリユウジヨンを如何にそこにあらはすかといふことが大切であつて、古来幾多の作品に徴してもそれだけはたしかであるやうである。
人間の一生を縦に考へて見ただけでも、世間に就ての考へ方は各自に、非常に違つて来るやうなものである。
吾々はある意味に於ては、即かなければならない。
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