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平林初之輔の全作品

青空文庫で公開されている平林初之輔の全作品65篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全65件
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御大典の当時、全国の警察が警戒網を布いて、怪しい挙動風体の者はいちいち検挙拘引していた頃のこと、伊勢の方面へ旅行中であった、江戸川乱歩が突如その筋の取り調べを受けたということである。
陰獣評江戸川乱歩氏の「陰獣」は、同氏の久し振りに発表した作であったのと、同氏独特の念入りな、手のこんだ、寸分のゆるみもない作品であったとのために、探偵小説の作者仲間では、異口同音に近い好評を博したようである。
これは一九三〇年型の実話ではなくて、ごく古風な実話である。
一、小さな幸福中学の課程すらも満足に了えていない今村謹太郎にとっては、浅野護謨会社事務員月給七十五円という現在の職業は、十分満足なものであった。
書斎の中のホームズベーカー・ストリートの古びた部屋、そとにはロンドン特有の濃霧がたちこめている。
左手には三浦半島から房総半島の淡い輪郭が海の中に突きだしている。
復興局の一技師の手が、大東京市の地図の上に、縦横に朱線をひいていく。
私がこれから話すことは、全部正真正銘の事実である。
一、僕がルパンであったら……二、僕がホームズであったら……僕がルパンであってもホームズであっても、どうもあれ以上には生き方がありません。
〈大正一五年度探偵小説壇の総決算〉本年度に於て発表された、創作並びに翻訳探偵小説中、貴下の印象に残っている作品今年印象に残れる作品小酒井不木「恋愛曲線」羽志主水「監獄部屋」(『新青年』第七巻第一四号、一九二六年一二月)。
角田喜久雄の「肉」は高山で霧にとじこめられて飢餓のため、人間しかも友人の肉を食う話。
大下宇陀兒氏の「蛞蝓(なめくじ)奇談」(『新青年』増刊)これはショート・ストーリーである。
「火星の運河」――江戸川乱歩作。
短い作品で一つの問題を提出するといふやうなことは難しいことだ。
探偵小説を広義に解するならば、実社会において比較的稀にしか起こらぬ出来事を取り扱った小説であると言えましょう。
日本には厳密な意味でのコントの作家がない。
□文壇の人にあうと探偵小説をすいている者が多いようである。
近頃読んだもので、面白かった点からいうと、大竹博吉君の監修で『日露戦争と露西亜革命』という題で上巻と中巻とが出たウイッテ伯の回想記である。
いわゆる文壇の小説家という人たちは、たいてい似たり寄ったりの生活をしている。
江戸川乱歩氏の作を『新青年』所載「悪夢」と「孤島の鬼」と二つ読んだ。
ポーは、アメリカの詩人にして最もアメリカ人らしくない詩人だと考えられている。
「あやかしの皷(つづみ)」はじめの方は、私にはそうとう読みづらかったが三分の一くらいまでくるとだんだん面白くなって、ついひきずられて読んでしまった。
郵便をポストへ入れると、すぐにはたして郵便がポストの中へうまく落ちたかどうかが気になる。
名前は忘れたが、どこかの国の総理大臣で、毎日一時間ずつ探偵小説を読むことを習慣にしていた人があるそうだ。
小酒井不木氏が死んだ。
ごく最近に私は二つの文学論を読んだ。
船が港へ近づくにつれて、船の中で起った先刻の悲劇よりも何よりも、新聞記者である里村の心を支配したのは、如何にしてこの事件をいち早く本社に報道するかという職業意識であった。
最近思いがけない死が私の周囲に頻々と突発する。
私は、探偵小説は、手にはいるものは、見さかいなく、好きで読みますけれども、誰と言って、特別に好きな作家は、まずありません。
デュパンという男は申すまでもなくポーの小説に出てくる探偵である。
前掲「文藝運動と勞働運動」の一文句に對して中西伊之助氏が「種蒔く人」八月號で猛烈に批難された。
探偵小説の類は、西洋でもいわゆる「軽い読物」として、文学上には大した地位を占めていないのが普通である。
S・S・ヴァン・ダインは、数年前彗星のようにアメリカに出現して、一挙に、数あるアメリカの探偵小説作家の中で、群を抜いて王座をしめた作家である。
黒岩涙香の名をきいて、いちばん先に思い出すのは彼が在命中の『万朝報』である。
私も以前にはだいぶ探偵小説を耽読したことがあった。
文藝運動と勞働運動平林初之輔明治以來の文藝運動は流派と流派との爭いであつた。
探偵小説の芸術的価値探偵小説は、英米では、ポー、スティーブンソンにはじまり、コナン・ドイルによって、近代小説の一つのカテゴリーとして、その存在を確立した。
法律の前には罪を犯さなくても、神の前に罪を犯さぬ者はありません。
第一夜「お父さん、今日は何か変わったことがあったかい?」「また、六つになる子供がさらわれちゃったよ。
文学作品の大衆性の問題は、ルナチヤルスキイ等がいふやうに、文学作品の形式の問題に止まるであらうか?更に進んでは、これは文学そのものに内在する問題であらうか?そして或る作品が大衆性を有するといふこと自体が、その作品の何か非常に望ましき芸術的なメリツト若しくは価値であるだらうか?私は最近まで、この疑問に対して「然り」と答へるのを常としてゐた。
探偵小説を、一般の小説から、特にきりはなして、これを特殊の眼で見、特殊の批評の尺度をもってこれにのぞみ、あたかも、探偵小説が、先天的に、特殊の価値を約束されているように見做すのは、間違いであると私は考える。
唯物史觀と文學平林初之輔人或は言うであろう。
『カラマーゾフ兄弟』のような小説を読むと、誰でも少なくも二日や三日は、作品の世界からぬけきれないで、平凡極まる自分の生活がいやになるに相違ない。
文芸は進化するか?阿部知二氏は『読売新聞』文芸欄(昭和五年五月六日)で、小林秀雄氏を評して次のように言う。
文学の方法論的研究が、近頃やうやく一部の人々の注意を、惹くやうになつて来た。
形而上学的文学論の破産「文学は種々の要素から成り立つ。
コペルニクスは地動説をとなへたが、それを統一的理論によつて説明するためにはニユウトンをまたねばならなかつた。
四月十三日こんなことが信じられるだろうか?でもじっさい妾(わたし)は自分の眼で見たのだ。
四土田杏村氏及び村松正俊氏の本質論私がこの小論文の続稿を書きおへないうちに、甚だ重要な二三の議論が私の眼にふれた。
世の中には色々な職業がある。
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