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中里介山の全作品

青空文庫で公開されている中里介山の全作品48篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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[#ページの天地左右中央に]この小説「大菩薩峠」全篇の主意とする処は、人間界の諸相を曲尽して、大乗遊戯の境に参入するカルマ曼陀羅の面影を大凡下の筆にうつし見んとするにあり。
天誅組がいよいよ勃発したのは、その年の八月のことでありました。
法然上人は美作の国、久米の南条稲岡庄の人である。
大正十何年の五月、甲斐の国の塩山の駅から大菩薩峠に向って馬を進めて行く一人の旅人がありました。
清澄の茂太郎は、ハイランドの月見寺の三重の塔の九輪の上で、しきりに大空をながめているのは、この子は、月の出づるに先立って、高いところへのぼりたがる癖がある。
「峠」という字は日本の国字である。
芸術とは何ぞや大衆という文字はいつ頃はじまった、いつ頃誰によって称え出されたものか知れないが、少くもここ十年以前には大衆文学なんぞというが如き文字は文学史にも新聞紙上にも見えなかったものである。
これも五月のはじめ、郊外の新緑にひたろうと、ブラリ寓を出でて、西武線の下井草までバス、あれから今日の半日を伸せるだけのして見ようと駅で掲示を見る、この線の終点は川越駅になっている、発駅は高田馬場である、そこで六十何銭かを投じて川越駅までの切符を求めた。
近江の国、草津の宿の矢倉の辻の前に、一ツの「晒(さら)し者」がある。
小生も本年数え年五十になった、少年時代には四十五十といえばもうとてもおじいさんのように思われたが、自分が経来って見るとその時分の子供心と大した変らない、ちっとも年をとった気にはなれない、故人の詩などを見ると四十五十になってそろそろ悲観しかけた調子が随分現われて来るけれども、余はちっとも自分では老いたりという気がしないのみならず、それからそれへと仕事が出て来てどうしてどうしてこれからが本当の仕事ではないか、と、思われる事ばかりだ、瘠我慢にいうのではない、自分は五十になって老いたりという気が...
「浜、雪は積ったか」炬燵(こたつ)に仮睡していた机竜之助は、ふと眼をあいてだるそうな声。
机竜之助は昨夜、お絹の口から島田虎之助の最期を聞いた時に、「ああ、惜しいことをした」という一語を、思わず口の端から洩らしました。
これよりさき、竜王の鼻から宇津木兵馬に助けられたお君は、兵馬恋しさの思いで物につかれたように、病み上りの身さえ忘れて、兵馬の後を追うて行きました。
第一冊の序文人間世界第一の長篇小説「大菩薩峠」の著者は今回また新たなる長篇小説「百姓弥之助の話」を人間世界に出す。
これらの連中がみんな東を指して去ってから後、十日ほどして、一人の虚無僧が大湊を朝の早立ちにして、やがて東を指して歩いて行きます。
大和の国、三輪の町の大鳥居の向って右の方の、日の光を嫌って蔭をのみ選って歩いた一人の女が、それから一町ほど行って「薬屋」という看板をかけた大きな宿屋の路地口を、物に追われたように駈けこんで姿をかくします。
伊勢から帰った後の道庵先生は別に変ったこともなく、道庵流に暮らしておりました。
昨日も、今日も、竜之助は大津の宿屋を動かない。
甲府の神尾主膳の邸へ来客があって或る夜の話、「神尾殿、江戸からお客が見えるそうだがまだ到着しませぬか」「女連のことだから、まだ四五日はかかるだろう」「なにしろ有名な難路でござるから、上野原あたりまで迎えの者をやってはいかがでござるな」「それには及ぶまい、関所の方へ会釈のあるように話をしておいたから、まあ道中の心配はあるまいと思う」「関所の役人が心得ていることなら大丈夫であろうが、貴殿御自身に迎えに行く心があったら、近...
今日から「Ocean(オーション) の巻」と改めることに致しました。
白根入りをした宇津木兵馬は例の奈良田の湯本まで来て、そこへ泊ってその翌日、奈良王の宮の址(あと)と言われる辻で物凄い物を見ました。
宇治山田の米友は、山形雄偉なる胆吹山を後ろにして、しきりに木の株根を掘っています。
内宮と外宮の間にあるから間の山というのであって、その山を切り拓いて道を作ったのは天正年間のことだそうであります。
天井の高い、ガランとした田舎家の、大きな炉の傍に、寂然として座を占めているのが弁信法師であります。
今、お雪は、自分の身を、藍色をした夕暮の空の下、涯しを知らぬ大きな湖の傍で見出しました。
下谷の長者町の道庵先生がこの頃、何か気に入らないことがあってプンプン怒っています。
宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。
お銀様は今、竜之助のために甲陽軍鑑の一冊を読みはじめました。
経済学と科学が、少しく働いて多く得ることを教えると、人間の慾望はそれに拍車を加えて、ついには最も少しく働くか、或いは全く働かないで、最も多くをせしめるように増長して行こうとするのに、最も多くを働いて、最も少なく得ることに満足し、それを楽しんで生きて行くものがあるならば、それは奇特というよりは、馬鹿という部類のものに属すべきものの仕事でしょう。
お君は、やがて駒井能登守の居間へ通されました。
八幡村の小泉の家に隠れていた机竜之助は、ひとりで仰向けに寝ころんで雨の音を聞いていました。
この巻は安房の国から始めます。
夜が明けると共に靄(もや)も霽(は)れてしまいました。
その晩のこと、宇治山田の米友が夢を見ました。
秋風ぞ吹く白河の関の一夜、駒井甚三郎に宛てて手紙を書いた田山白雲は、その翌日、更に北へ向っての旅に出で立ちました。
温かい酒、温かい飯、温かい女の情味も畢竟(ひっきょう)、夢でありました。
武州沢井の机竜之助の道場に、おばけが出るという噂(うわさ)は、かなり遠いところまで響いておりました。
この際、両国橋の橋向うに、穏かならぬ一道の雲行きが湧き上った――といえば、スワヤと市中警衛の酒井左衛門の手も、新徴組のくずれも、新たに募られた歩兵隊も、筒先を揃(そろ)えて、その火元を洗いに来るにきまっているが、事実は、半鐘も鳴らず、抜身の槍も走らず、ただ橋手前にあった広小路の人気が、暫く橋向うまで移動をしたのにとどまるのは、時節柄、お膝元の市民にとっての幸いです。
同じその宵のこと、大津の浜から八十石の丸船をよそおいして、こっそりと湖中へ向って船出をした甲板の上に、毛氈を敷いて酒肴を置き、上座に構えているその人は、有野村の藤原の伊太夫で、その傍に寄り添うようにして、「御前様、光悦屋敷とやらのことは、もう一ぺんよくお考えあそばしませ、大谷風呂の方は、どちらへ転びましても結構でございますがねえ」それは女軽業の親方のお角でした。
駒井甚三郎は清澄の茂太郎の天才を、科学的に導いてやろうとの意図は持っていませんけれど、その教育法は、おのずからそうなって行くのです。
宇治山田の米友は、碓氷峠の頂、熊野権現の御前の風車に凭(もた)れて、遥かに東国の方を眺めている。
信濃の国、白骨の温泉――これをハッコツと読ませたのは、いつの頃、誰にはじまったものか知らん。
今日の小春日和、山科の光仙林から、逆三位一体が宇治醍醐(だいご)の方に向って、わたましがありました。
過ぐる夜のこと、机竜之助が、透き通るような姿をして現われて来た逢坂の関の清水の蝉丸神社の鳥居から、今晩、またしても夢のように現われて来た物影があります。
「おや、まあ、お前は弁信さんじゃありませんか……」と、草鞋を取る前に、まず呆気にとられたのは久助です。
とめどもなく走る馬のあとを追うて、宇治山田の米友は、野と、山と、村と、森と、田の中を、かなり向う見ずに走りました。
年魚市は今の「愛知」の古名なり、本篇は頼朝、信長、秀吉を起せし尾張国より筆を起せしを以てこの名あり。
田山白雲は北上川の渡頭に立って、渡し舟の出るのを待兼ねている。
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