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30分以内で読める青空文庫の短編作品(3ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編4,431作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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それは田舎の夏のいいお天気の日の事でした。
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。
ちょうど初七日の夜のことでした。
これは探偵小説に限らない。
中の間で道子は弟の準二の正月着物を縫い終って、今度は兄の陸郎の分を縫いかけていた。
私は、独りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。
「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯(ひげ)ある人が二たび三たび微吟して、あとは思案の体である。
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。
自分は現代の作家の中で、一番志賀氏を尊敬している。
目のあらい簾(すだれ)が、入口にぶらさげてあるので、往来の容子は仕事場にいても、よく見えた。
五月始めの或晴れた夜であつた。
むかしむかし、イギリスの大昔、アルフレッド大王の御代のことでございます。
慈悲の女神、天使として、フロレンス・ナイチンゲールは生きているうちから、なかば伝説につつまれた存在であった。
ある婦人雑誌社の面会室。
あれは、白昼の悪夢であったか、それとも現実の出来事であったか。
平中といふ色ごのみにて、宮仕人はさらなり、人の女など忍びて見ぬはなかりけり。
汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七条のプラットフォームの上に振り落す。
諸君は、東京市某町某番地なる風博士の邸宅を御存じであろう乎(か)?御存じない。
異国語においては、名詞にそれぞれ男女の性別あり。
上井戸は車にて綱の長さ十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゆうひゆうと吹ぬきの寒さ、おお堪えがたと竈(かまど)の前に火なぶりの一分は一時にのびて、割木ほどの事も大台にして叱(しか)りとばさるる婢女の身つらや、はじめ受宿の老媼さまが言葉には御子様がたは男女六人、なれども常住家内にお出あそばすは御総領と末お二人、少し御新造は機嫌かいなれど、目色顔色を呑(の)みこんでしまへば大した事もなく、結句おだてに乗る質なれば、御前の出様一つで半襟半がけ前垂の紐(ひも)にも事は欠くまじ、...
雪婆んごは、遠くへ出かけて居りました。
一人の獄卒が、刑務所内にある靴工場へやってくる。
この論文を讀む人は、更に大正十三年七月發行の『東洋學報』に掲載した、拙稿「支那人間に於ける食人肉の風習」(本全集第二卷所收)を參考されたい。
(上)隔ては中垣の建仁寺にゆづりて汲(くみ)かはす庭井の水の交はりの底きよく深く軒端に咲く梅一木に両家の春を見せて薫りも分ち合ふ中村園田と呼ぶ宿あり園田の主人は一昨年なくなりて相続は良之助廿二の若者何某学校の通学生とかや中村のかたには娘只一人男子もありたれど早世しての一粒ものとて寵愛はいとゞ手のうちの玉かざしの花に吹かぬ風まづいとひて願ふはあし田鶴の齢ながゝれとにや千代となづけし親心にぞ見ゆらんものよ栴檀(せんだん)の二葉三ツ四ツより行末さぞと世の人のほめものにせし姿...
昔、ペルシャのある町に、二人の兄弟が住んでいました。
はるばると海を越えて、この島に着いたときの私の憂愁を思い給え。
月夜に七人の子供が歩いておりました。
これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。
夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。
江戸川乱歩氏に「久作論」を頼んだから、私はそれに対する「乱歩論」を書けという註文が猟奇社から来ました。
むかしむかし、王様とお妃がありました。
僕の母は狂人だった。
五百年ほど前に、九州菊池の侍臣に磯貝平太左衞門武連と云う人がいた。
浅草の仁王門の中に吊(つ)った、火のともらない大提灯。
東京における戦後の寿司屋の繁昌は大したもので、今ではひと頃の十倍もあるだろう。
むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。
[#ページの左右中央]人物夫妻時晴れた日曜の午後所庭に面した座敷[#改ページ]夫(縁側の籐椅子に倚り、新聞を読んでゐる)「米国フラー建材会社のターナー支配人が一日目白文化村を訪れて、おゝロスアンゼルスの縮図よ!と申しましたやうに、目白文化村は今日瀟洒たる美しい住宅地になりました」妻(縁側近く座蒲団を敷き、編物をしてゐる)なに、それは。
ここに茶わんが一つあります。
敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。
なほ春のましろき花と見ゆれどもともに死ぬまで悲しかりけり(晶子)紫夫人はあの大病以後病身になって、どこということもなく始終煩っていた。
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まつたのは、良平の八つの年だつた。
私は先ごろパンパンガールと会談した。
日本人は早く仏教に由って「無常迅速の世の中」と教えられ、儒教に由って「日に新たにしてまた日に新たなり」ということを学びながら、それを小乗的悲観の意味にばかり解釈して来たために、「万法流転」が人生の「常住の相」であるという大乗的楽観に立つことが出来ず、現代に入って、舶載の学問芸術のお蔭で「流動進化」の思想と触れるに到っても、動もすれば、新しい現代の生活を呪詛して、黴(かび)の生えた因習思想を維持しようとする人たちを見受けます。
人魚は、南の方の海にばかり棲(す)んでいるのではありません。
海岸の小さな町の駅に下りて、彼は、しばらくはものめずらしげにあたりを眺めていた。
新聞によると、太宰の月収二十万円、毎日カストリ二千円飲み、五十円の借家にすんで、雨漏りを直さず。
ネウリ部落のシャクに憑(つ)きものがしたという評判である。
今より六七年前、私はある地方に英語と数学の教師をしていたことがございます。
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