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太宰治の全作品(3ページ目)

青空文庫で公開されている太宰治の全作品252篇を、おすすめ人気順で表示しています。

101〜150件 / 全252件
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食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。
――はっきり言ってごらん。
ほんとうのことは、あの世で言え、という言葉がある。
一社會人として、こゝに一文を草しなければかなはぬ義務を感じてゐる。
先日、三田の、小さい学生さんが二人、私の家に参りました。
もう、三十七歳になります。
佐野君は、私の友人である。
横綱、男女川が、私の家の近くに住んでいる。
一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。
生い立ちと環境私は田舎のいわゆる金持ちと云われる家に生れました。
所謂社会主義の世の中になるのは、それは当り前の事と思わなければならぬ。
れいの戦災をこうむり、自分ひとりなら、またべつだが、五歳と二歳の子供をかかえているので窮し、とうとう津軽の生家にもぐり込んで、親子四人、居候という身分になった。
どうも、みんな、佳い言葉を使い過ぎます。
信じるより他は無いと思う。
イエス其(そ)の弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々に出でゆき、途にて弟子たちに問ひて言ひたまふ「人々は我を誰と言ふか」答へて言ふ「バプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或人は預言者の一人」また問ひ給ふ「なんぢらは我を誰と言ふか」ペテロ答へて言ふ「なんぢはキリスト、神の子なり」(マルコ八章二七)たいへん危いところである。
昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或る男の訪問を受けた。
その高橋五郎といふ人は、他にどんな仕事をした人か、私は知らない。
この「東北文学」という雑誌の貴重な紙面の端をわずか拝借して申し上げます。
フィジー人は其(その)最愛の妻すら、少しく嫌味を覚ゆれば忽(たちま)ち殺して其肉を食うと云う。
昨年の夏、私は十年振りで故郷を見た。
「その作家の日常の生活が、そのまま作品にもあらわれて居ります。
満洲のみなさま。
けさ新聞紙上にて、文壇師弟間の、むかしながらのスパルタ的なる鞭の訓練ちらと垣覗きして、あれではお弟子が可愛さうだと、清潔の義憤、しかも、酸鼻といふ言葉に據つて辛くも表現できる一種凌壯の感覺に突き刺されて、あ、と小さい呼び聲、女の作家、中條百合子氏の、いちいち汚れなき抗議の文字、「文學に、何ぞ、この封建ふうの徒弟氣質、――」云々の、お言葉に接して、いまは猶豫の時に非ず、良き師持ちたるこの身の幸福を、すこしも早う、いちぶいちりんあやまちなく、はつきり、お教へしなければならぬ、たのしき義務をさ...
所收――「富嶽百景」「女生徒」「滿願」「駈込み訴へ」「女の決鬪」「走れメロス」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」明治四十二年の初夏に、本州の北端で生れた氣の弱い男の子が、それでも、人の手本にならなければならぬと氣取つて、さうして躓いて、躓いて、けれども、生きて在る限りは、一すぢの誇を持つてゐようと馬鹿な苦勞をしてゐるその事を、いちいち書きしたためて殘して置かうといふのが、私の仕事の全部のテエマであります。
誕生二十五の春、そのひしがたの由緒ありげな學帽を、たくさんの希望者の中でとくにへどもどまごつきながら願ひ出たひとりの新入生へ、くれてやつて、歸郷した。
諦めよ、わが心、獣の眠りを眠れかし。
人の世話にばかりなって来ました。
東京の三鷹の家にいた頃は、毎日のように近所に爆弾が落ちて、私は死んだってかまわないが、しかしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子はとうとう、海というものを一度も見ずに死んでしまうのだと思うと、つらい気がした。
晩ごはんを食べていて、そのうちに、私は箸と茶碗を持ったまま、ぼんやり動かなくなってしまって、家の者が、どうなさったの、と聞くから、私は、あ、厭(あ)きちゃったんだ、ごはんを、たべるのが厭きちゃったんだ、とそう言って、そのことばかりでは無く、ほかにも考えていたことがあって、それゆえ、ごはんもたべたくなくなって、ぼんやりしてしまったのであるが、けれども、それを家の者に言うのは、めんどうくさいので、もうこのまま、ごはんを残すから、いいかね、と言ったら、家の者は、かまいません、と答えた。
二、三年前の、都新聞の正月版に、私は横綱男女ノ川に就いて書いたが、ことしは横綱双葉山に就いて少し書きましょう。
私の顔は、このごろまた、ひとまわり大きくなったようである。
山岸外史氏の「人間キリスト記」を、もつと、たくさんの人に讀んでもらひたい、と思つてゐる。
ことしの正月は、さんざんでありました。
この、三鷹の奥に移り住んだのは、昨年の九月一日である。
なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。
所收――「東京八景」「HUMAN LOST」「きりぎりす」「短篇集―一燈・失敗園・リイズ」「盲人濁笑」「ロマネスク」「乞食學生」作者が、作品に説明を附けると、讀者は、その説明文に頼り過ぎていけない。
七月三日から南伊豆の或る山村に來てゐるのだが、勿論ここは、深山幽谷でも何でもない。
こなひだ三幕の戲曲を書き上げて、それからもつと戲曲を書いてみたくなり、長兄の本棚からさまざまの戲曲集を持ち出して讀んでみたが、日本の大正時代の戲曲のばからしさには呆れた。
先夜、音樂學校の古川といふ人が、お見えになり、その御持參の鞄から葛原しげる氏の原稿を取り出し、私に讀ませたのですが、生れつき小心な私は、讀みながら、ひどく手先が震へて困りました。
れいの、璽光尊とかいうひとの騒ぎの、すこし前に、あれとやや似た事件が、私の身辺に於いても起った。
頭の禿(は)げた善良そうな記者君が何度も来て、書け書け、と頭の汗を拭きながらおっしゃるので、書きます。
津輕に疎開中、黒石町にいちど遊びに行つた事があります。
まづしい作家のことこんど、國民新聞の短篇小説コンクールに當選したので、その日のことを、正直に書いて見ようと思ふ。
この新聞(帝大新聞)の編輯者は、私の小説が、いつも失敗作ばかりで伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。
芸術家というものは、つくづく困った種族である。
どうにかなる。
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