書き出し
壱、明治マニラをバギオに結ぶベンゲット道路のうち、タグパン・バギオ山頂間八十粁(〔キロメートル〕)の開鑿は、工事監督のケノン少佐が開通式と同時に将軍になったというくらいの難工事で、人夫たちはベンゲット山腹五千呎(〔フィート〕)の絶壁をジグザグに登りながら作業しなければならず、スコールが来ると忽ち山崩れや地滑りが起って、谷底の岩の上へ家守のようにたたき潰された。
初出
1942年
(「文藝 第十巻年十一号」改造社、1942(昭和17)年11月)
底本
「俗臭 織田作之助[初出]作品集」インパクト出版会, 2011(平成23)年5月20日