書き出し
兩國といへばにぎわ敷所と聞ゆれどこゝ二洲橋畔のやゝ上手御藏橋近く、一代の富廣(ひろ)き庭廣き家々もみちこほるゝ富人の構えと、昔のおもかげ殘る武家の邸つゞきとの片側町、時折車の音の聞ゆるばかり、春は囘向院の角力の太鼓夢の中に聞て、夏は富士筑波の水彩畫を天ねむの後景として、見あかぬ住居さりとて向島根岸の如き不自由は無、娘が望かなひ、かの殿の内君とならば向河岸に隱宅立てゝと望は、あながち河向ひの唄女らが母親達のみの夢想にもあらぬぞかし。
初出
1910年
(「女學世界第一卷第十五號定期増刊「磯ちどり」才媛詞藻冬の卷・小説」1910(明治43)年11月号)
底本
「時代の娘」興亞日本社, 1941(昭和16)年10月22日