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岡本かの子の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている岡本かの子の全作品116篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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お別れしてから、あの煙草屋の角のポストの処まで、無我夢中で私が走つたのを御存じですか。
或る晴れた秋の日、尋常科の三年生であつた私は学校の運動場に高く立つてゐる校旗棒を両手で握つて身をそらし、頭を後へ下げて、丁度逆立したやうになつて空を眺めてみた。
鈴子は、ひとり、帳場に坐って、ぼんやり表通りを眺めていた。
これは現代の若き女性気質の描写であり、諷刺であり、概観であり、逆説である。
セーヌの河波の上かわが、白ちゃけて来る。
春は私がともすれば神経衰弱になる季節であります。
――二十余年前の春兄は第一高等学校の制帽をかぶっていた。
わたくしは自分達を夫とか妻とか考えません。
恋愛は詩、ロマンチツクな詩、しかも決して非現実的な詩ではないのであります。
食欲でもないし、情欲でもない。
東京の西郊に私の実家が在つた。
独逸でのクリスマスを思い出します。
(1)気むずかしい夫何が気に入らないのか、黙りこくってむっつりしている。
そちらのお座敷にはもうそろそろ西陽が射す頃で御座いませう?鋭い斜光線の直射があなたのお机のわきの磨りガラスの窓障子へ光の閃端をうちあてると万遍なくお部屋の内部がオレンヂ色にあかるくなりますのね、そしてにわかに蒸暑くなるのでせう、あなたは急に汗を余計お出しになる。
彼が公園内に一歩をいれた時、彼はまだ正気だった。
一平兎(と)に角、近代の女性は型がなくなった様だね。
倫敦に於ける五月一日は新聞の所謂「赤」一党のみが辛うじてメーデーを維持する。
晴れた秋の夜は星の瞬きが、いつもより、ずつとヴイヴイツトである。
元禄享保の頃、関西に法眼、円通という二禅僧がありました。
○処女時代の私は、兄と非常に密接して居ました。
旅人のカクテール旅人は先ず大通のオペラの角のキャフェ・ド・ラ・ペーイで巴里の椅子の腰の落付き加減を試みる。
はつ湯男の方は、今いう必要も無いから別問題として、一体私は女に好かれる素質を持って居た。
夕食前の小半時、巴里のキャフェのテラスは特別に混雑する。
彼等の決議市会議員のムッシュウ・ドュフランははやり唄は嫌いだ。
――きちがひの女の兒に惚れられた話をしませう。
「あなたのお宅の御主人は、面白い画をお描きになりますね。
時寛弘年間の或る秋処京の片ほとり人紫式部三十一二歳老侍女妙な美男西向く聖(舞台正面、質素な西の対屋の真向き、秋草の生い茂れる庭に臨んでいる。
根はかち/\の石のやうに朽ち固つてゐながら幹からは新枝を出し、食べたいやうな柔かい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしてゐた。
師の家を出てから、弟子の慶四郎は伊豆箱根あたりを彷徨(うろつ)いているという噂(うわさ)であった。
遅い朝日が白み初めた。
明治も改元して左程しばらく経たぬ頃、魚河岸に白魚と鮎(あゆ)を専門に商う小笹屋という店があった。
智子が、盲目の青年北田三木雄に嫁いだことは、親戚や友人たちを驚かした。
京都の嵐山の前を流れる大堰川には、雅びた渡月橋が架っています。
桐(きり)の花の咲く時分であった。
スワンソン夫人は公園小路の自邸で目が覚めた。
独逸に在る唯一の仏教の寺だという仏陀寺へ私は伯林遊学中三度訪ねた。
今年の夏の草花にカルセオラリヤが流行りそうだ。
夜明けであった。
月の出の間もない夜更けである。
パンを焼く匂いで室子は眼が醒めた。
結婚式の夜、茶の間で良人は私が堅くなってやっと焙(い)れてあげた番茶をおいしそうに一口飲んでから、茶碗を膝に置いて云いました。
「素焼の壺と素焼の壺とただ並んでるようなあっさりして嫌味のない男女の交際というものはないでしょうか」と青年は云った。
かの女の耳のほとりに川が一筋流れてゐる。
ロンドン市の北郊ハムステットの丘には春も秋もよく太陽が照り渡った。
池は雨中の夕陽の加減で、水銀のやうに縁だけ盛り上つて光つた。
中年のおとうさんと、おかあさんと、二十歳前後のむすこと、むすめの旅でありました。
ロンドンの北郊ハムステット丘の公園の中に小綺麗な別荘風の家が立ち並んで居る。
それはまだ、東京の町々に井戸のある時分のことであつた。
ロンドンの北隅ケンウッドの森には墨色で十数丈のシナの樹や、銀色の楡(にれ)の大樹が逞(たく)ましい幹から複雑な枝葉を大空に向けて爆裂させ、押し拡げして、澄み渡った中天の空気へ鮮やかな濃緑色を浮游させて居る。
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