ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 中編(60分以内)

60分以内で読める青空文庫の中編作品(3ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「60分以内」の中編2,316作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(12,001〜24,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
101〜150件 / 全2,316件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
[#ページの左右中央]躑躅か丘鎮守の社かくれあそびおう魔が時大沼五位鷺九ツ谺渡船ふるさと千呪陀羅尼[#改ページ]躑躅か丘日は午なり。
平出園子というのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。
冬の長い国のことで、物蔭にはまだ雪が残つて居り、村端の溝に芹(せり)の葉一片青んではゐないが、晴れた空はそことなく霞んで、雪消の路の泥濘の処々乾きかゝつた上を、春めいた風が薄ら温かく吹いてゐた。
白襷隊明治三十七年十一月二十六日の未明だった。
「おぅい、下にいる人!」わたしがこう呼んだ声を聞いたとき、信号手は短い棒に巻いた旗を持ったままで、あたかも信号所の小屋の前に立っていた。
まちそとの森に、いっぽん、とてもかわいらしい、もみの木がありました。
前がき『ジャン・クリストフ』の作者ロマン・ローランは、西暦千八百六十六年フランスに生まれて、現在ではスウィスの山間に住んでいます。
「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。
あっしの洋行の土産話ですか。
『学問の独立』緒言近年、我が日本において、都鄙上下の別なく、学問の流行すること、古来、未だその比を見ず。
はしがき死刑を宣告されて今マルセイユ監獄に繋がれているヘルバルト・ドゥ・レルナークの告白は、私の信ずるところでは、どこの国の犯罪史を繙(ひもと)いてみても、絶対的に先例が無かっただろう‥‥‥と思われるような、あの異常な事件の上にようやく一道の光明を投げあたえた。
第一章死生第二章運命第三章道徳―罪悪第四章半生の回顧第五章獄中の回顧第一章死生わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている。
ある機会で、予は下に掲げる二つの手紙を手に入れた。
元禄と云う年号が、何時の間にか十余りを重ねたある年の二月の末である。
夢の様な幼少の時の追憶、喜びも悲みも罪のない事許り、それからそれと朧気に続いて、今になつては、皆、仄かな哀感の霞を隔てゝ麗かな子供芝居でも見る様に懐かしいのであるが、其中で、十五六年後の今日でも猶、鮮やかに私の目に残つてゐる事が二つある。
杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋源右衛門方へ着いたのは、巳刻を少し回ったばかりだった。
わたしの叔父は江戸の末期に生まれたので、その時代に最も多く行なわれた化け物屋敷の不入の間や、嫉み深い女の生霊や、執念深い男の死霊や、そうしたたぐいの陰惨な幽怪な伝説をたくさんに知っていた。
(上)顕れたる事実またしても明智小五郎の手柄話です。
この人を見よわたしは彼是十年ばかり前に芸術的にクリスト教を――殊にカトリツク教を愛してゐた。
「こう爺(じい)さん、おめえどこだ」と職人体の壮佼は、そのかたわらなる車夫の老人に向かいて問い懸けたり。
肺病やみの格太郎は、今日も又細君においてけぼりを食って、ぼんやりと留守を守っていなければならなかった。
詩集<色ガラスの街>尾形亀之助此の一巻を父と母とに捧ぐ序のりんてん機とアルコポン×りんてん機は印刷機械です×ア[#「ア」に丸傍点]ルコポンはナ[#「ナ」に丸傍点]ルコポン(魔酔薬)の間違ひです私はこの夏頃から詩集を出版したいと思つてゐましたそして十月の始めには出来上るやうにと思つてゐたので逢う[#「う」に「ママ」の注記]人毎に「秋には詩集を出す」と言つてゐました十月になつてしまつたと思つてゐるうちに十二...
また正月が来た。
馬と兵と女七月の上旬である。
四月七日だというのに雪が降った。
興味の点はまったく人を夢中にさせるものであるが、普通の小説にするのにはあまりに恐ろしすぎる、というような題材がある。
目前には広々と海が横はつてゐる。
上「イヤ、僕も多少は知っているさ。
俊寛云いけるは……神明外になし。
[#ページの左右中央に]詩人薄田泣菫の君に捧げまつる[#改丁]絵画目次[#省略][#改丁]詩目次[#底本では各項は、「君死に給ふこと勿れ」に合わせて均等割付]白百合みをつくし曙染君死に給ふこと勿れ恋ふるとていかが語らむ皷いだけばしら玉の冥府のくら戸は[#改丁...
今日世界各国の人の学問の目的とする所には種々あるが、普通一般最も広く世界に行われている目的は、各自の職業に能く上達するにある。
諸葛菜三国鼎立の大勢は、ときの治乱が起した大陸分権の自然な風雲作用でもあったが、その創意はもともと諸葛孔明という一人物の胸底から生れ出たものであることは何としても否みがたい。
カント哲学以来、デカルト哲学は棄てられた。
………それは小ぢんまりと出来上った、奥床しい門構えの家だった。
ものの真相はなかなか小さな虫の生活でさえ究められるものではない。
「…………」山には木樵唄、水には船唄、駅路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、労を休め、我が身を忘れて屈託なくその業に服するので、恰(あたか)も時計が動く毎にセコンドが鳴るようなものであろう。
(南方閑話にも收めたれど、一層増補したる者を爰に入る)建築土工等を固めるため人柱を立てる事は今も或る蕃族に行なはれ其傳説や古蹟は文明諸國に少なからぬ。
はしがき四月は、毎年多数の青年が新たに法学に志してその門に入ってくる月である。
これは銭形平次の最初の手柄話で、この事件が平次を有名にしたのです。
詩集の始にこの詩集には、詩六十篇を納めてある。
はしがきもの思う葦(あし)という題名にて、日本浪曼派の機関雑誌におよそ一箇年ほどつづけて書かせてもらおうと思いたったのには、次のような理由がある。
私は探偵小説の筋を考える為に、方々をぶらつくことがあるが、東京を離れない場合は、大抵行先が極っている。
みなさん、よくごぞんじのように、シナでは、皇帝はシナ人で、またそのおそばづかえのひとたちも、シナ人です。
登場人物童子、順礼等舞妓白萩千代伊留満喜三郎常丸学頭菊枝所化長順老いたる男及び行人二三所化乗円、其他学僧うかれ男老いたる侍永禄末年のこと。
ある午後「高いとこの眺めは、アアッ(と咳(せき)をして)また格段でごわすな」片手に洋傘、片手に扇子と日本手拭を持っている。
本所大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。
散文詩集『田舎の時計他十二篇』萩原朔太郎[表記について]●本文中、底本のルビは「(ルビ)」の形式で処理した。
此作は、名古屋刑務所長、佐藤乙二氏の、好意によって産れ得たことを附記す。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。