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10分以内で読める青空文庫の短編作品(3ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編2,631作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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ある入学試験の成績表について数学の点数と語学の点数の相関を調べてみたことがあった。
沈痛、悲慘、幽悽なる心理的小説「罪と罰」は彼の奇怪なる一大巨人(露西亞)の暗黒なる社界の側面を暴露して餘(あま)すところなしと言ふべし。
まづ祝すべきは市谷の詩人が俗嘲を顧みずして、この新らしき題目を歌ひたることなり。
読者はどこか古い塔の階段を上って、真黒の中をまったてに上って行って、さてその真黒の真中に、蜘蛛の巣のかかった処が終りで外には何もないことを見出したことがありませんか。
曙(あけぼの)の色がほのかに東の空を染めて、間もなくその日の最初の太陽の光が、はるかな海面を錫箔(すずはく)のように輝かせた。
大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢(あ)う人が皆驚いた顔をして居る。
ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、「ふぐは食いたし命は惜しし」の古諺に引っかかって味覚上とんだ損失をしている。
夏目漱石は家人のすすめで、やむなく電話を買ったが、うるさいからといってしばらく受話器をはずさせておいたという。
萩、刈萱、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔。
この社会に公明正大に生きてゆくためには、公私の別をよくわきまえていかなければならない。
暴力支配の現代では、暴力の終局の至上權の法則を誰かが拒否し得やうとは、何人も考へることが出來ないであらう。
私は今から二ヶ月ほど前に胃から黒い血をはいた。
久し振りに上京するとマゴツク事や、吃驚させられる事ばかりで、だんだん恐ろしくなって来る。
新学年開始のこの機会に上記の題で何か書けという編輯員からの御注文である。
映畫はさすがに大衆のものだけあつて、わたしのような外國映畫の臺詞を飜譯している、いわゆるスーパー屋さんにまで、ファン・レターならぬいろいろの手紙が、思わぬところから舞いこんでくる。
春の長閑な日で、垣根の内には梅が咲いていた。
恩師の一世一代という意味ばかりではない。
此処を出入りするもの、必ずこの手紙を読むべし。
S―君.……………晩の7時15分少し前から Wilhelm Weber 町29番地の前の歩道を僕は行きつ戻りつしていました.星の見えたのは近日珍らしいが,秋風が冷こくなってリンデの落葉が二ひら三ひら散らばっているなどは誂向きの道具立です.其処で僕は或る Fr※ulein と rendez-vous があったのです.フロイラインというのは Prof. Dr. Emmy Noether 女史です!ヒルベルト先生を訪問するのに,僕一人では話が途切れたときに...
○南勝房法語にいう、「南ガ云ハク十界ニ於テ執心ナキガ故ニ九界ノ間ニアソビアルクホドニ念々ノ改変ニ依テ依身ヲ受クル也、サヤウニナリヌレバ十界住不住自在也、………密号名字ヲ知レバ鬼畜修羅ノ棲メルモ密厳浄土也、フタリ枕ヲナラベテネタルニヒトリハ悪夢ヲ見独リハ善夢ヲ見ルガ如シ、………凡心ヲ転ズレバ業縛ノ依身即チ所依住ノ正報ノ淨土也、其ノ住処モ亦此クノ如シ、三僧祇ノ間ハ此ノ理ヲ知ランガタメニ修行シテ時節ヲ送ル也」と。
「花がたみ」は第九回文展出品作で、大正四年の制作である。
その街角には靴屋があった。
クロオド・フアレエルの作品を始めて日本に紹介したのは多分堀口大学氏であらう。
今日来て見ると、Kさんの書卓の上に、ついぞ見なれぬ褐色のきたない三六版ほどの厚い書物が載っていた。
五年九号四二頁に宮本君が書いた、周防大島願行寺にむかし住んだ、非常に強記な僧の話は、和漢諸方に古来類話が多い。
次ぎに載せるのは、自分の馬券哲学である。
アンデルセンといえば、おそらくその名を知らない者はないといってもよいであろう。
雨がやむと風もやむだ。
この話を自分は母から聞いた。
河豚どんな下手が釣っても、すぐにかかる魚は河豚とドンコである。
わたくしは老来、毎年少しづつ肥満して今はいつも十八貫以上、下着なども普通のものでは間に合はないが、こんな男一疋の体重になつたのは四十以後で、少年の頃は骨と皮ばかりの痩せつぽち、それでゐて頑健この上なし樫の木のやうなと云はれた体質で、五尺六寸に近い身長で体重は十二貫あるなしであつた。
革命前だったか、革命後だったか、――いや、あれは革命前ではない。
現在、各大学に落語研究会というものがあり、中学・高校の教科書にも江戸小咄がのっている。
「冬」が訪ねて来た。
世界平和大会へ日本の代表は行くことができなかった。
いまさら辞典懐古の自叙でもないが、明治時代の下半期に、国語学言語学を修めた私は、現在もひきつづいて恩沢を被りつつある先進諸家の大辞書を利用し受益したことを忘れぬし、大学に進入したころには、恩師上田万年先生をはじめ、藤岡勝二・上田敏両先進の、辞書編集法およびその沿革についての論文等を読んで、つとに啓発されたのであった。
散文に二種あると考へてゐるが、一を小説、他を作文とかりに言つておく。
表題の私の少年探偵小説について何か書くように勧められたが、私は三、四年来、病気でひきこもっていて、手足が不自由なため、筆が執れないので、手紙の返事などは、家族のものに代筆してもらっているような、ありさまである。
私がマラルメを足繁く訪れるやうになつた頃、文学は私にとつて殆んど無意味にしか思はれなくなつた頃だつた。
左の一編は十一月十一日、府下芝区三田慶應義塾に於(おい)て福澤先生の演説したるその大意の筆記なり。
暮れに、私の家の近所を散歩してゐると、東京工業大學の門前でカミュの『誤解』上演と記されたお粗末な紙看板が目にとまつた。
川の中に、魚がすんでいました。
ほんとうのことは、あの世で言え、という言葉がある。
子供の頃「坊やん」と謂はれて居た小悧好な男があつた。
イーハトヴは一つの地名である。
独楽が流行っている時分だった。
十二月になると一日一日に時を刻む音が聞えるようである。
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