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5分以内で読める牧野信一の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている牧野信一の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編104作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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「僕は哲学と芸術の分岐点に衝突して自由を欠いた頭を持てあました。
酒井君!いつかは失敬!あれはタイガア・カフエだつたかしら?そしてこの前の君の手紙もああいふわけで(?)失敬したよ。
田舎の明るい竹林のほとりに住んでゐる、私の或る知人の簡素な茶室に、一幄の懸物がかゝつてゐた。
たゞぼんやりと――自分は安倍さんの顔を瞶めた、必ずや自分の顔も安倍さんと同じやうに蒼然と変つてゐたに違ひない――大正十年三月五日午後二時十分――ちよつと自分はテーブルを離れて、どこだつたか歩いてゐた、さうしてテーブルのところへ帰らうとして、ストーブの前へ来た時、向方から慌しく駆けて来た安倍さんが、「アツ……君々、大井君が死んだとさ……」「えツ?」まさか、そんなことはあるまい、――と自分は思つた。
そのとき、たしか、永井龍男君と井伏鱒二君と堀辰雄君と小林秀雄君とに私は誘はれて、恰度うらうらとするこのごろのやうな長閑な日の夕暮時に銀座の方から、須田町の万惣にあつまつた。
悪い酒であります。
厭世の偏奇境から発酵したとてつもないおしやべり(アストラカン)です、これを読んで憤らうつたつて憤れる筈もありますまいし、笑ふには少々馬鹿/\し過ぎて、さて何としたものかと首をかしげさせられながら、だんだん読んで行くと重たい笑素に襲はれます。
宮城聡氏の「樫の芽生え」なる小説を読んで、私は痛感に堪えられなかつた。
今僕の枕元には、ジイド全集の第四巻と久保田万太郎氏の「月あかり・町中」の二部があるのみ。
この手紙を書くべく考へはぢめて、もう十日あまりも経つのであるが、手紙といふても稍かたちの違ふものであるから、起きあがつてからと思つてゐるうちに、中々風邪が治らず、もう間に合ひさうもなくなつたから、寝たまゝ弁解風のことを書く。
(手紙を書く)*空想は自然の隈どりだ、櫟林の奥で捕獲した一個のムラサキ蝶を験めようか!樺色地に薄墨の豹紋を散らして、光りの屈折に随つては、真紫に輝く見るも鮮やかな幻色を呈するのだ。
ある庭の片隅に一本の雛菊が咲いて居りました。
神妙な療養生活がどうやら利きめがあらはれて、陽気もおひおひと和んで来ると、酒の有りがたさが沁々と感ぜられるのである。
(或時私は、菓子のことに就いて人に問はれた時、次のやうな返答を誌したことがある。
止める止めるとこぼしながらうまくゆかないのが多くの飲酒者の通例であるが、止めようと思つたら飲まなければ好いのにと僕は思ひそんなことは口にもせず飲みつゞけてゐたところ急に具合が悪くなつたので止めて見たところ、一向僕には未練もない、性根は余り酒好きでもなかつたのか知ら、他人の酔つてゐるのを見ても白々としたもので、自分も酔つてゐた時はあんな風だつたのか!と思つても別段羨しくもなければ、後悔もなく、まこと変哲のなさの至りである。
今年になつて――。
去年の冬であつた。
こんな芝居を観に来るんぢやなかつた――と夫は後悔した。
「あなたは何故酒を飲むだり煙草を喫つたりするのですか。
私はこの町(芝区三田――)で、はじめての春を迎へた。
「西部劇通信」に収めた諸篇――「川を遡りて」から「出発」まで――は、私のこの五年間の、主なる作品である。
日暮里の浅草一帯から、大川のはるか彼方の白い空がいつもほのぼのと見渡せる、その崖のふちの新しい二階家の――どうしたことか、その日は、にわかな荒模様、雨や雪ではなくつて、つむぢ風の大騒ぎだつた。
私の友達のBは、今或る望遠鏡製作会社の検査係りといふ役目を務めてゐます。
母家何故現在の住所を書いて寄さないのか?と屡々汝に云はれるが、汝との手紙が一回往復される間には大概予の居住は変つてしまふのだ!あれ以来予は既に三個所も居を移してゐる、いつも田舎の母家を予の宛名にはしてゐるが。
私は昨今横須賀に住んで、夙に病弱の療養に専念してゐる。
坂口安吾の作品集が出たことは近頃僕にとつての稀なる快心の一つだ。
忘れる「暑さ、涼しさの話。
僕は近頃また東京に舞ひ戻つて息子と二人で、霞荘といふところに寄宿しながら全く慎ましい日夕をおくり迎へて別段不足も覚えないのであるが、こんな小さな部屋では酒をのむわけにもゆかず、いつも神妙な顔をして、こつこつと小説を書き、書いても書いても何といふこともなく家を建てるなんていふことはおろか着物一枚買へもせず、それどころかいつの間にか鞄に入れて来たものもなくなつてしまつたりして、これは一体何ういふものかなどゝ考へると、やはり余り小つぽけな暮しをしてゐるために、そんなつもりではなくつてもつい了見...
この家の納屋で僕は斯んな奇妙な自転車を発見した。
いつも僕は野球の期節になると何よりも先に屹度大音寺君のことを思ひ出す。
「もう少し愛があれば、誰もこんなところに落ち込みはしないのだ。
一日晴明方五時、時計は壊れてゐるが、空や影や光の具合で大概見当がつく、――売薬嗜眠剤の悪夢に倦きたので旬日の禁を犯して洋酒を摂る。
先日東京から遊びにきた(古典派洋画家と自ら称ふ)友人と珍しく僕は海辺を歩ひた。
一ぺん朝はやく起きたのであつたが、ゆうべから読みかけてゐた「ライネケの話」といふおとぎばなしを感心しながら読んでゐるうちに、うと/\してしまつて風谷龍吉君に起されると、お午だつた。
西暦一九〇三年の?月――日露の講和会議が米のポーツマスに開催されると決定された数ヶ月前に、一人の日本学生が、急にホワイトハウスの何課かに雇入れられました。
習慣と称ぶ暴虐なる先入主を打破せんと欲する者は、多くの事柄が、単にそれに伴ふ習慣の※と皺とに支へられて何等の疑念なく認容せられてゐるのを見るであらう。
震災後、未だ雑誌「新演芸」が花やかであつた頃、作家の見たる芝居の印象――といふやうな欄があつて、僕も二三度此処に登場したことがある。
「今日は二人で、こうして海を眺めながら、歌を作り合ふじやありませんか。
私の日記には日の区ぎりがつけにくい、寝て、起る時間が、いつもあまりに滅茶苦茶だから――。
五人力と称ばれてゐる無頼漢の大川九郎が今日はまた大酒を呑んで、店で暴れてゐる――と悲しさうな顔で居酒屋の娘が、私の家に逃げて来た夕暮時に、恰度私の家では土用干の品々を片附けてゐたところで、そして私は戯れに鎧を着、鉄の兜を被つて、ふざけてゐたところだつた。
明るいうちは風があつたが、陽が落ちると一処に綺麗に凪いで、街は夢のやうにうつとりとした。
あゝさうか、今日は土曜日だつたね。
僕は、これで、白足袋といふものは、未だ嘗てはいたことはないんだぜ――。
僕は田舎にゐると毎朝毎夕欠かすことなく不思議に勇壮な運動を試みます。
こんなことを何も僕は決して誇り気に誌すわけではないのであるが、今不図考へて見て男の友達でも女の友達でも――それはいつも極く少人数であるが、一度交際した人と、自分から先に離れたといふ記憶を持たない、つい口の慎しみがなくて親しむに伴れては喧嘩などをすることは屡々であるが、その場限りで二三日経つと悪いことは皆な忘れてしまふ。
実川延若といふ役者を、自分は初めて見たのである。
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