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宮沢賢治の全作品

青空文庫で公開されている宮沢賢治の全作品248篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全248件
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雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ※ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「...
一、午后の授業「ではみなさんは、そういうふうに川だと云(い)われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。
小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二疋(ひき)つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云(い)いながら、あるいておりました。
[#ページの左右中央]心象スケツチ春と修羅大正十一、二年[#改丁]わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です(ひかりはたもちその電燈は...
よだかは、実にみにくい鳥です。
……ある牛飼いがものがたる第一日曜オツベルときたら大したもんだ。
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。
どっどどどどうどどどうどどどう青いくるみも吹きとばせすっぱいかりんも吹きとばせどっどどどどうどどどうどどどう谷川の岸に小さな学校がありました。
あかいめだまのさそりひろげた鷲のつばさあをいめだまの小いぬ、ひかりのへびのとぐろ。
森グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。
おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
なめとこ山の熊のことならおもしろい。
雪渡りその一(小狐の紺三郎)雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。
前十七等官レオーノ・キュースト誌宮沢賢治訳述そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。
序論……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……おれたちはみな農民であるずゐぶん忙がしく仕事もつらいもっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたいわれらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化するこの方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか...
軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました。
ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのねずみがすんでいました。
双子の星天の川の西の岸にすぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。
虔十はいつも縄の帯をしめてわらって杜(もり)の中や畑の間をゆっくりあるいているのでした。
博物局十六等官キュステ誌私の町の博物館の、大きなガラスの戸棚には、剥製ですが、四疋(ひき)の蜂雀がいます。
七四四病院一九二六、一一、四、途中の空気はつめたく明るい水でした熱があると魚のやうに活溌でそして大へん新鮮ですな終りの一つのカクタスがまばゆく燃えて居りました市街も橋もじつに光って明瞭で逢ふ人はみなアイスランドへ移住した蜂雀といふ風の衣裳をつけて居りましたあんな正確な輪廓は顕微鏡分析の晶形にも恐らくなからうかと思ふのであります[#改ページ]七四五〔霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ〕...
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
ある晩、恭一はぞうりをはいて、すたすた鉄道線路の横の平らなところをあるいて居りました。
今は兎(うさぎ)たちは、みんなみじかい茶色の着物です。
病床たけにぐさに風が吹いてゐるといふことであるたけにぐさの群落にも風が吹いてゐるといふことである[#改ページ]眼にて云ふだめでせうとまりませんながぶがぶ湧いてゐるですからなゆふべからねむらず血も出つづけなもんですからそこらは青くしんしんとしてどうも間もなく死にさうですけれどもなんといゝ風でせうもう清明が近いのであんなに青ぞらからもりあがって...
小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。
一、ペンネンネンネンネン・ネネムの独立〔冒頭原稿数枚焼失〕のでした。
この一巻はわたくしが岩手県花巻の農学校につとめて居りました四年のうちの終りの二年の手記から集めたものでございますこの四ヶ年はわたくしにとってじつに愉快な明るいものでありました先輩たち無意識なサラリーマンスユニオンが近代文明の勃興以来或いは多少ペテンもあったではありませうがとにかく巨きな効果を示し絶えざる努力と結束で獲得しましたその結果わたくしは毎日わづか二時間乃至四時間のあ...
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、さそりの赤眼が見えたころ、四時から今朝もやって来た。
蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸とはみんな立派な選手でした。
一、山小屋鳥の声があんまりやかましいので一郎は眼をさましました。
雪婆んごは、遠くへ出かけて居りました。
夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。
そらのてっぺんなんかつめたくてつめたくてまるでカチカチのやきをかけた鋼です。
ぼくらの方の、ざしき童子のはなしです。
〔冒頭原稿一枚?なし〕以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取して、脂肪若くは蛋白質となし、その体内に蓄積す。
四つのつめたい谷川が、カラコン山の氷河から出て、ごうごう白い泡をはいて、プハラの国にはいるのでした。
松の木や楢(なら)の木の林の下を、深い堰(せき)が流れて居りました。
(一)[#「(一)」は縦中横]一本木の野原の、北のはづれに、少し小高く盛りあがった所がありました。
〔もうでかけましょう。
私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました。
めくらぶどうと虹(にじ)宮沢賢治城(しろ)あとのおおばこの実(み)は結(むす)び、赤つめ草の花は枯(か)れて焦茶色(こげちゃいろ)になり、畑(はたけ)の粟(あわ)は刈(か)られました。
九月一日どっどどどどうどどどうどどどう、ああまいざくろも吹きとばせすっぱいざくろもふきとばせどっどどどどうどどどうどどどう谷川の岸に小さな四角な学校がありました。
苔(こけ)いちめんに、霧がぽしゃぽしゃ降って、蟻(あり)の歩哨は鉄の帽子のひさしの下から、するどいひとみであたりをにらみ、青く大きな羊歯の森の前をあちこち行ったり来たりしています。
どれもみんな肥料や薪炭をやりとりするさびしい家だ。
むかし、ある霧のふかい朝でした。
うずのしゅげを知っていますか。
四又(よまた)の百合(ゆり)宮沢賢治「正※知(しょうへんち)はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河(かわ)をおわたりになってこの町にいらっしゃるそうだ」こう言(い)う語(ご)がすきとおった風といっしょにハームキャの城(しろ)の家々にしみわたりました。
あるとき、三十疋(ぴき)のあまがえるが、一緒に面白く仕事をやって居りました。
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