書き出し
秋森家というのは、吉田雄太郎君のいるN町のアパートのすぐ西隣にある相当に宏(ひろ)い南向きの屋敷であるが、それは随分と古めかしいもので処まんだらにウメノキゴケの生えた灰色の甍(いらか)は、アパートのどの窓からも殆んど覗(うかが)う事の出来ない程に鬱蒼たる櫟(くぬぎ)や赤樫の雑木林にむっちりと包まれ、そしてその古屋敷の周囲は、ここばかりは今年の冬に新しく改修されたたっぷり一丈はあろうと思われる高い頑丈な石塀にケバケバしくとりまかれていた。
初出
1935年
(「新青年」1935(昭和10)年7月号)
底本
「とむらい機関車」創元推理文庫、東京創元社, 2001(平成13)年10月26日