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野村胡堂の全作品(5ページ目)

青空文庫で公開されている野村胡堂の全作品405篇を、おすすめ人気順で表示しています。

201〜250件 / 全405件
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江戸川乱歩氏が盛んに売り出そうとしている頃、それは確か関東大震災の翌年あたりであったと思う。
「捕物小説」というものは、好むと好まざるとに関せず、近頃読書界の一つの流行で、大衆雑誌の編輯者が「捕物小説を一つ入れなければ、売る自信が持てない」というのも、決して誇張やお世辞ではないようである。
明治二十五年頃から、十年位の間、日本にも一としきり探偵小説の氾濫時代があった。
明神下の銭形の平次の家へ通ると、八五郎は開き直って年始のあいさつを申述べるのです。
江戸のよさ江戸のよさということを、いまの人は忘れていると思います。
昭和六年のある春の日の午後のことである、かねて顔見知りで、同じ鎌倉に住んでいる菅忠雄君が、その当時報知新聞記者であった私を訪ねて来て、二階の応接間でこう話したのである。
吉田首相が「銭形平次」を読むとか読まないとかで、かなりうるさい問題を巻き起こした。
捕物小説というものを、私は四百二三十篇は書いているだろう。
銭形平次の住居は――神田明神下のケチな長屋、町名をはっきり申上げると、神田お台所町、もう少し詳しくいえば鰻(うなぎ)の神田川の近所、後ろは共同井戸があって、ドブ板は少し腐って、路地には白犬が寝そべっている。
麗子の嘆き「あら、麗子さん、どうなすったの」「あッ、加奈子さん」「近頃学校へもいらっしゃらないし、みんなで心配して居てよ、――それに顔色も悪いわ、どうなすったの本当に」「困った事が起ったの、加奈子さん、私どうしたらいいでしょう」加奈子は、お使いに行った帰り上野の竹の台で、お友達の麗子にバッタリ出逢ったのでした。
錢形平次は久し振りに田舍祭を見物に出かけました。
「親分妙なことがありますよ」ガラツ八の八五郎は、入つて來るといきなり洒落た懷中煙草入を出して、良い匂ひの煙草を立て續けに二三服喫ひ續けるのでした。
プロローグその夜の話し手遠藤盛近は、山羊※(やぎひげ)の萎びた中老人で、羊羹色になった背広の、カフスから飛出すシャツを気にし乍(なが)ら、老眼鏡の玉を五分間に一度位ずつの割りで拭き拭き、見掛けに依らぬ良いバリトンで、こう話し始めました。
「錢形平次親分といふのはお前樣かね」中年輩の駄馬に布子を着せたやうな百姓男が、平次の家の門口にノツソリと立ちました。
「親分、ちと出かけちゃどうです。
「親分、旅をしませんか、良い陽氣ですぜ」ガラツ八の八五郎はまた斯(こ)んな途方もないことを持込んで來たのです。
「親分は?お静さん」久し振りに来たお品は、挨拶が済むと、こう狭い家の中を見廻すのでした。
「フーム」要屋の隠居山右衛門は、芝神明前のとある夜店の古道具屋の前に突っ立ったきり、しばらくは唸(うな)っておりました。
プロローグ「これは低俗な義理人情や、歪められた忠義を鼓吹した時代には発表の出来なかった話で、長い間私の材料袋に秘められて居りましたが、今となっては最早憚(はばか)り恐るる節もなく、この物語を発表したからと言って、私を不忠者不義者扱いにする、頭の固い便乗者も無くなってしまったことでしょう。
「ね、親分、こいつは珍しいでしょう」ガラッ八の八五郎は、旋風のように飛込んで来ると、いきなり自分の鼻を撫(な)で上げるのでした。
小網町二丁目の袋物問屋丸屋六兵衛は、とうとう嫁のお絹を追い出した上、倅(せがれ)の染五郎を土蔵の二階に閉じ籠めてしまいました。
師走に入ると、寒くてよく晴れた天気がつづきました。
「わツ、親分」まだ明けきらぬ路地を、鐵砲玉のやうに飛んで來たガラツ八の八五郎。
ガラッ八の八五郎はぼんやり日本橋の上に立っておりました。
「親分、是非逢ひ度いといふ人があるんだが――」初冬の日向を追ひ乍ら、退屈しのぎの粉煙草を燻(くゆら)して居る錢形平次の鼻の先に、ガラツ八の八五郎は、神妙らしく膝つ小僧を揃へるのでした。
「親分、あつしはもう癪(しやく)にさはつて――」ガラツ八の八五郎は、拳骨で獅子ツ鼻の頭を撫で乍ら、明神下の平次の家へ飛び込んで來ました。
「親分、変なことがありますよ」八五郎のガラッ八が、長い顔を糸瓜棚の下から覗かせたとき、銭形の平次は縁側の柱にもたれて、粉煙草をせせりながら、赤蜻蛉の行方を眺めておりました。
「あれを聴いたでしょうね、親分」ガラッ八の八五郎は、この薄寒い日に、鼻の頭に汗を掻いて飛込んで来たのです。
「親分、何んかかう胸のすくやうなことはありませんかね」ガラツ八の八五郎は薄寒さうに彌造を構へたまゝ、膝小僧で錢形平次の家の木戸を押し開けて、狭い庭先へノソリと立つたのでした。
三河町一丁目の大元締、溝口屋鐘五郎の家は、その晩割れ返るような賑わいでした。
「親分、何かこう胸のすくようなことはありませんかね」ガラッ八の八五郎は薄寒そうに弥蔵を構えたまま、膝小僧で銭形平次の家の木戸を押し開けて、狭い庭先へノソリと立ったのでした。
「八、厄介なことになったぜ」銭形の平次は八丁堀の組屋敷から帰って来ると、鼻の下を長くして待っている八五郎に、いきなりこんなことを言うのです。
ガラッ八の八五郎が、その晩聟入りをすることになりました。
「こいつは可哀想だ」銭形平次も思わず顔を反けました。
奉行に代って「お駒さん、相変らず綺麗だぜ」「あら、権次さん、お前さんは相変らず口が悪いよ」「口の悪いのは通り者だが、お駒さんの綺麗なのと違って罪は作らねえ」「何を言うのさ、いきなり悪口を言ったり、好い児になったり」二人は顔を合せさえすれば、斯(こ)んな調子で物を言う間柄だったのです。
「親分、あれを御存じですかえ」ガラッ八の八五郎はいきなり飛び込んで来ると、きっかけも脈絡もなく、こんなことを言うのでした。
飯田町の地主、朝田屋勘兵衞が死んで間もなく、その豪勢な家が、自火を出して一ぺんに燒けてしまつたことがあります。
「いやもう、驚いたの驚かねえの」八五郎がやつて來たのは、彼岸過ぎのある日の夕方、相變らず明神下の路地一パイに張り上げて、走りのニユースを響かせるのでした。
第三の話の選手「道具立てが奇抜だから話が奇抜だとは限りません。
兩國橋を中心に、大川の水の上にくり擴(ひろ)げられた夏の夜の大歡樂の中を、龜澤町の家主里見屋吉兵衞の凉み船は、上手へ、上手へと漕いで行きました。
「親分、ちよいと智慧を貸して下さい。
「親分、良い陽氣ですね」「何んだ、八にしちや、大層お世辭が良いぢやないか。
「親分、小柳町の伊丹屋の若旦那が来ましたぜ、何か大変な事があるんですって」「恐ろしく早いじゃないか、待たしておけ」「ヘエ――」平次は八五郎を追いやるように、ガブガブと嗽(うがい)をしました。
「親分、間拔けな武家が來ましたよ」縁側から八五郎の長んがい顎が、路地の外を指さすのです。
「旦那よ――たしかに旦那よ」「――」盲鬼になつた年増藝妓のお勢は、板倉屋伴三郎の袖を掴んで、斯う言ふのでした。
その頃の不忍の池は、月雪花の名所で、江戸の一角の別天地として知られました。
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