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小泉八雲の全作品

青空文庫で公開されている小泉八雲の全作品28篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜28件 / 全28件
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武蔵の国のある村に茂作、巳之吉と云う二人の木こりがいた。
七百年以上も昔の事、下ノ関海峡の壇ノ浦で、平家すなわち平族と、源氏すなわち源族との間の、永い争いの最後の戦闘が戦われた。
東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある――これは紀伊の国の坂という意である。
五百年ほど前に、九州菊池の侍臣に磯貝平太左衞門武連と云う人がいた。
むかし丹波の国に稻村屋源助という金持ちの商人が住んでいた。
読者はどこか古い塔の階段を上って、真黒の中をまったてに上って行って、さてその真黒の真中に、蜘蛛の巣のかかった処が終りで外には何もないことを見出したことがありませんか。
ひと目惚れは日本では西洋ほどありふれたものではない。
汝、その肉体を離れ、自由なる天空に入りし時、不死なる永遠の神とならん――もはや死といえども、汝を支配すること忽らん――ギリシア古詩歌市街地の通りには白い軍服姿とラッパの響き、それに野戦砲の重々しい軋みがあふれていた。
伯耆の国、黒坂村の近くに、一条の滝がある。
昔、京都に近い愛宕山に、黙想と読経に余念のない高僧があった。
二百年ばかり前に、京都に飾屋九兵衞という商人が居た。
官立の高等中学校(a)の学生たちは、かろうじて少年と呼べるくらいであろう。
越前の国の代官、野本彌治衞門の歿した時、その下役の者共相謀って、その故主人の遺族をだまそうとした、代官の負債の幾分を償却すると云う口実の下に、その家の財宝家具全部を押えた。
秋月老先生、――『世界に於ける最も丁寧なる人々』の禮儀を知らない私、それから上品にして美はしい種類の挨拶の言葉のあるその國語を知らない一外國人である私は、私の恭しき賀状を御送り申上げる場合に、私の云ふべき事が云へないやうに感じます。
一九〇六年五月二十六日東京親愛なる學生及び友人諸君、私は一九〇一年の卒業生諸君の立派な寫眞、及びそれぞれの肖像に小さい索引をつけて下さつた思慮深き御親切に對して、心から御禮を申します、――その御親切は私自身のやうな近眼の者が本當に有難く思ふ事です。
昔、尾州遠山の里に若い農夫とその妻が住んでいた。
月なき無窮の夜空に、あまたの星がきらめいて、横たわる天の河も、ひときわさんざめいている。
昔、江戸霊岸島に喜兵衞と云う金持ちの瀬戸物店があった。
土佐の国名越の長者權右衞門の娘おかめは、その夫八右衞門を非常に好いていた。
お抱え車夫の平七が、熊本の町の近郊にある有名なお寺院へ連れて行ってくれた。
明治二六年六月七日きのうの福岡発信の電報によると、当地で逮捕された兇徒が、裁判のために、きょう正午着の汽車で熊本へ護送されるということだった。
昔、江戸小石川に鈴木と云う旗本があって、屋敷は江戸川の岸、中の橋に近い所にあった。
明治二四年五月五日一八九一年誰か賢き女を見出すことを得んや――その値打ちはなはだ高貴なりラテン語訳聖書「天子様御心配」天子様が畏れ多くも悲しんでおられる。
拝啓先に長崎からお手紙を差し上げると申しておりましたが、それはかなわない事になりました。
人力車で旅行していて、できるのはあたりを眺めることと夢見ることくらいである。
その旅館は、楽園のように思えたし、女中たちも天女のようだった。
第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。
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