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戸坂潤の全作品

青空文庫で公開されている戸坂潤の全作品63篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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道徳の観念戸坂潤第一章道徳に関する通俗常識的観念道徳の問題を持ち出す際、いつも邪魔になるものは、道徳に関する世間の通俗常識である。
思想と風俗戸坂潤思想というものは、その持ち主の身につけば、その持主の好み[#「好み」に傍点]のようなものにまでもなるものだ。
二三年来、問題に触れて書いて来た社会評論の内から、手頃と思われるものを選んで、出版することにした。
『経済学大辞典』ディーツゲンヨゼフJosef Dietzgen(一八二八―一八八八)ドイツのプランケンベルクに生れた。
幾何学とは何であるか、之が私の問題である。
私は今特に、文明批評又は文化批判の立場から、技術の問題を取り上げる。
この書物は、過去一年余りの間に私が様々な雑誌に発表した文章を、略々発表の時期の順序に従って編集したものである。
準備的考察――概念の分析に就いて吾々の問題を正当に提出し得るためには、提出に先立って、次の準備が是非とも必要である。
文学という言葉を文献学という意味に使い、所謂文学の代りに文芸という言葉を使え、という意見もあるが、私はにわかに賛成出来ない。
科学方法論を私は、学問論乃至科学論の一つの特殊な形態として取り扱うべきであると考える。
戸坂嵐子殿(十九年十二月十二日朝)八日に手紙六通(老人3嵐子2イク子1)入手、進学の件など明らかとなり安心。
私は二年あまり前に、『イデオロギーの論理学』を出版したが、今度の書物は全く、それの具体化と新しい領域への展開なのである。
目次思想問題恐怖症自由主義の悲劇面転向万歳倫理化時代減刑運動の効果世人の顰蹙林檎が起した波紋小学校校長のために博士ダンピングへ荒木陸相の流感以後スポーツマンシップとマネージャーシップ失望したハチ公武部学長・投書・メリケン農村問題・寄付行為其他三位一体の改組その他罷業不安時代パンフレット事件及び風害対策高等警察及び冷害対策試験地獄礼讃...
第一章認識について認識という言葉は今日では、殆んど完全に日常語となっている。
今日の日本の反動形態は、総てが日本型ファッシズムに集中していると見做すことが出来る。
私小説というものがあって、その評判は好悪相半ばしているようだが、それは私という自分であるものにしか判らない小説、自分だけが面白がるための小説、を意味する心算ではないらしい。
学界というものをごく狭く理解して、研究室や研究所に直接関係がある世界のことだとすると、私は今日では全く学界の外の人である。
第七十議会の問題となるべきものは数限りがない。
何が目標か初めに私は、少し大胆かも知れない独断をやって除けたいと思う。
科学(特に自然科学)と技術(第一に物的生産技術)との関係は、今日ではすでに陳腐な問題のように響く。
我国の暫く前までの学界情勢では、カント流の範疇が範疇の代表者と考えられていた。
古くダンテがイタリア語の父であるとされ、又降ってルターがドイツ語の完成者と云われるように、ルネ・デカルトはフランス語の恩人とされている。
要点だけをごく手短かに叙べねばならぬ。
現在の時局は、文化の観点から云えば勿論のこと、文化以外の観点である軍事や生産技術の観点から云っても、科学の時代である。
今日普通映画と呼ばれているものは、大体映画芸術のことである。
近衛内閣の成立は、今の処割合評判が悪くないというのが事実だろう。
最近私は学生や青年の問題について、書くことを注文されたり意見を徴されたりすることが非常に多い。
『東洋学芸雑誌』一月号で発表した私の文章、「科学の歴史的社会的制約」に対して岡邦雄氏は、本誌二月号に於て至極公明な態度を以て、批判を下した。
今日の日本の文芸批評の姿には、見渡したところ二群のものを区別出来るようである。
技術的精神は近代文化の根本精神であると私は考えている。
二年間あまり、世間から隔離されている間に、世間は全く変って了った。
数カ月前までは、国防予算乃至軍事予算の膨大と国民生活の安定とは、事実上に於て相剋する関係にあるということが、国民の常識となっていた。
文壇と一部の評論壇では、一口で云うと「日本的なるもの」の検討が風をなしている。
戦争が社会の政治的常軌を通行遮断し、典型的な非常状態に置くものであることは、今更改めて言うまでもない。
現代の日本に於ては教育家というものは数え切れない程存在している。
初めに断わっておくが、私はごく最近社会大衆党に這入った一党員である。
準戦時体制、或いは寧ろ戦時的体制の下に、事実上今日各部面の動員が行なわれている。
東大数学科の教授である竹内端三博士は私にとって一種の恩師である。
科学教育という名でさし当り考えられるものに二つの場合がある。
(付記)本篇は唯物論研究会の中心人物たる戸坂潤が書いて東京地方裁判所検事局に提出したものである。
文芸学の対象は云うまでもなく文芸である。
文化の混乱や思想の混乱が日本で叫ばれ始めたのは、しばらく前からである。
ひとり日本に限るわけではないが、特に現在の日本に於ては、含蓄ある意味での科学論が、多少とも進歩に関心を持つ社会人の溌剌たる興味の対象になっている点を、私は注目したい。
文化勲章受領者の九氏については、誰と云って文句のつくべき人はないだろう。
初めに引用というものに就いて述べる必要があると思う。
J. v. Kries の『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要領を紹介して見ようと思う。
個人に公的生活と私生活とがあるように、社会全体にも云わば公的生活と私的生活との区別がある。
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