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60分以内で読める紫式部の中編作品

青空文庫で公開されている紫式部の作品の中で、おおよその読了目安時間が「60分以内」の中編15作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(12,001〜24,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜15件 / 全15件
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紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし(晶子)どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。
皮ごろも上に着たれば我妹子は聞くことのみな身に沁(し)まぬらし(晶子)源氏の君の夕顔を失った悲しみは、月がたち年が変わっても忘れることができなかった。
青海の波しづかなるさまを舞ふ若き心は下に鳴れども(晶子)朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。
さくら散る春の夕のうすぐもの涙となりて落つる心地に(晶子)冬になって来て川沿いの家にいる人は心細い思いをすることが多く、気の落ち着くこともない日の続くのを、源氏も見かねて、「これではたまらないだろう、私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」と勧めるのであったが、「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」という歌のように、恋人の冷淡に思われることも地理的に斟酌をしなければならないと、しいて解釈してみずから慰めることなども...
道もなき蓬(よもぎ)をわけて君ぞこし誰にもまさる身のここちする(晶子)源氏が須磨、明石に漂泊っていたころは、京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは、源氏が旅での生活の様子もかなりくわしく通信されていたし、便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳も季節に従って仕立てて送るような慰みもあった。
みをつくし逢(あ)はんと祈るみてぐらもわれのみ神にたてまつるらん(晶子)須磨の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提を早く弔いたいと仕度をしていた。
みづからはあるかなきかのあさがほと言ひなす人の忘られぬかな(晶子)斎院は父宮の喪のために職をお辞しになった。
盛りなる御代の后に金の蝶(てふ)しろがねの鳥花たてまつる(晶子)三月の二十日過ぎ、六条院の春の御殿の庭は平生にもまして多くの花が咲き、多くさえずる小鳥が来て、春はここにばかり好意を見せていると思われるほどの自然の美に満たされていた。
あぢきなき松の風かな泣けばなき小琴をとればおなじ音を弾く(晶子)東の院が美々しく落成したので、花散里といわれていた夫人を源氏は移らせた。
露置きてくれなゐいとど深けれどおもひ悩めるなでしこの花(晶子)炎暑の日に源氏は東の釣殿へ出て涼んでいた。
大空の日の光さへつくる世のやうやく近きここちこそすれ(晶子)春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、御簾の中にばかりおいでになった。
雪ちるや日よりかしこくめでたさも上なき君の玉のおん輿(こし)(晶子)源氏は玉鬘に対してあらゆる好意を尽くしているのであるが、人知れぬ恋を持つ点で、南の女王の想像したとおりの不幸な結末を生むのでないかと見えた。
帰りこし都の家に音無しの滝はおちねど涙流るる(晶子)恋しさのおさえられない大将はまたも小野の山荘に宮をお訪ねしようとした。
ふぢばなのもとの根ざしは知らねども枝をかはせる白と紫(晶子)六条院の姫君が太子の宮へはいる仕度でだれも繁忙をきわめている時にも、兄の宰相中将は物思いにとらわれていて、ぼんやりとしていることに自身で気がついていた。
しめやかにこころの濡(ぬ)れぬ川霧の立ちまふ家はあはれなるかな(晶子)そのころ世間から存在を無視されておいでになる古い親王がおいでになった。
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