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豊島与志雄の全作品(7ページ目)

青空文庫で公開されている豊島与志雄の全作品335篇を、おすすめ人気順で表示しています。

301〜335件 / 全335件
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幸福というものは、何時何処から舞い込んでくるか分らない。
津田洋造[#「洋造」は底本では「洋蔵」]は、長男が生れた時、その命名に可なり苦しんで、いろいろ考え悩んだ末、一郎と最も簡単に名づけてしまった。
A現に中央アラビア国の元首で、全アラビア人の信望を一身に担い、モハメッドの再来と目せられて、汎回教運動に多大の刺戟を与えている怪傑、イブン・サウドが、二十数年前、中央アラビアの砂漠の中を、少数の手兵を率いて疾駆していた頃の話である。
敏子なぜ泣くんだ。
比較的大きな顔の輪郭、額のぶあつい肉附、眼瞼の薄いぎょろりとした眼玉、頑丈な鼻、重みのある下唇、そして、いつも櫛のはのよく通った髪、小さな口髭……云わば、剛直といった感じのするその容貌の中で、斜に分けられてる薄い頭髪が微笑み、短く刈りこまれてる口髭が社交的に動くのである。
河野が八百円の金を無理算段して、吉岡の所へ返しに来たのは、何も、吉岡の死期が迫ってると信じて、今のうちに返済しておかなければ………とそういうつもりではないらしかった。
穏かな低気圧の時、怪しい鋭い見渡しがきいて、遠くのものまで鮮かに近々と見え、もしこれが真空のなかだったら……と、そんなことを思わせるのであるが、そうした低気圧的現象が吾々の精神のなかにも起って、或る瞬間、人事の特殊な面がいやになまなましく見えてくることがある。
十月十八日、空が晴れて日の光りが麗しかった。
南正夫は、もう何もすることがなかった。
村尾庄司が突然行方をくらましてから、一年ほどたって、島村陽一は意外なところで彼に出会った。
三月の末に矢島さんは次のようなことを日記に書いた。
私は遂に女と別れてしまった。
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。
霙交りの雨が、ぽつりぽつりと落ちてくる気配だった。
孝太郎が起き上った時恒雄夫妻はまだ眠っていた。
初めは相当に拵えられたものらしいが、長く人の手がはいらないで、大小さまざまの植込が生い茂ってる、二十坪ばかりの薄暗い庭だった。
波多野洋介が大陸から帰って来たのは、終戦後、年を越して、四月の初めだった。
母上今日は日曜日です。
山田は秀子の方が自分を誘惑したのだと思っていた。
十一月から病床に横わった光子の容態は、三月になっても殆んど先の見当がつかなかった。
牧野良一は、奥日光の旅から帰ると、ゆっくり四五日かかって、書信の整理をしたり、勉強のプランをたてたりして、それから、まっさきに、川村さんを訪れてみた。
重夫は母のしげ子とよく父のことを話し合った。
ヨーロッパから西アジヤにかけて、方々にちらばつてる一つの民族があります。
石田周吉というのは痩せた背の高い男である。
前から分っていた通り、父は五十歳限り砲兵工廠を解職になった。
小説の本質ある科学者がこういうことをいった――「科学に没頭していると人生の煩わしさを……人生そのものをも……忘れてしまう。
まっ白いネコ九州の北海岸の、ある淋しい村に、古い小さな神社がありました。
私は遂に秀子を殴りつけた。
兎に角、母が一人で行ってくれたのが、彼には嬉しかった。
四月末の午後二時頃のこと、電車通りから二三町奥にはいった狭い横町の、二階と階下と同じような畳数がありそうな窮屈らしい家の前に、角帽を被った一人の学生が立止って、小林寓としてある古ぼけた表札を暫く眺めていたが、いきなりその格子戸に手をかけて、がらりと引開けるなり中にはいった。
もう準備はすっかり整っている。
岡部順造は、喧嘩の余波で初めて秋子の姙娠を知った。
松月別館での第一日は、あらゆる点で静かだった。
看護婦は湯にはいりに出かけた。
井上周平は、隆吉を相手に、一時間ばかり、学課の予習復習を――それも実は遊び半分に――みてやった後、すぐに帰ろうとした。
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