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豊島与志雄の全作品(5ページ目)

青空文庫で公開されている豊島与志雄の全作品335篇を、おすすめ人気順で表示しています。

201〜250件 / 全335件
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同じ高原でも、沓掛の方は軽井沢より、霧も浅く湿気も少ないので、私の身体にはよいだろうと、そう野口は申しましたが、実際、私もそのように感じました。
ソファーにもたれてとろとろと居眠った瞬間に、木原宇一は夢をみました。
千代は少し白痴なのだ。
吉乃は、いつものんきで明るかった。
星野武夫が上海に来て、中国人のうちで最も逢いたいと思ったのは秦啓源であった。
もともと、おれは北川さんとは何の縁故もない。
「この頃の洋式の建築は可笑しなことをするもんだね。
夢の後味というものは、なにかはかなく、しんみりとして、淋しいことが多い。
政代の眼は、なにかふとしたきっかけで、深い陰を宿すことがあった。
港というものは、遠く海上を旅する人々の休み場所、停車場というものは、陸上を往き来する人々の休み場所、どちらもにぎやかなものです。
都会には、都会特有の一種の幽気がある。
――大いなる蛸の如きもの、わが眼に見ゆ。
某私立大学の法学部で植民政策の講義を担任してる矢杉は、或る時、その学校で発行されてる大学新聞の座談会に出席したが、座談会も終り、暫く雑談が続き、もう散会という間際になって、まだ嘗て受けたことのない質問を一人の学生から提出された。
揚子江の岸の、或る港町に、張という旧家がありました。
病院の裏手に、狭い急な坂がある。
自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。
終戦後、その秋から翌年へかけて、檜山啓三は荒れている、というのが知人間の定評でありました。
「あなたは仮面をかぶっていらした。
すぐ近くの、お寺の庭に、四五本の大きな銀杏樹がそびえ立っている。
この不思議な事件は、全く思いがけないものであって、確かな解釈のしようもないので、それだけまた、深く私の心を打った。
東京空襲の末期に、笠井直吉は罹災して、所有物を殆んど焼かれてしまいました上、顔面から頭部へかけて大火傷をしました。
それは、たしかに、この花子が致したことでございます。
丘の上の小径から、だらだら上りの野原をへだてて、急な崖になり、灌木や小笹が茂っている。
独りでコーヒーをすすっていると、戸川がはいって来て、ちょっと照れたような笑顔をし、おれと向き合って席についた。
むかし、近江[#ルビの「おうみ」は底本では「おおみ」]の国、琵琶湖の西のほとりの堅田に、ものもちの家がありまして、そこに、ふたりの兄弟がいました。
一、高木恒夫の告白人生には、おかしなことがあるものだ。
住居から谷一つ距てた高台の向う裾を走る省線電車まで、徒歩で約二十分ばかりの距離を、三十分ほどもかけてゆっくりと、岸本省平は毎日歩きました。
私は一年間、ある山奥の別荘でくらしたことがあります。
湖心に眼があった。
四方八方から線路が寄り集まり、縦横に入り乱れ、そしてまた四方八方に分散している。
結婚してから、三ヶ月は夢のように過ぎた。
文学者のところには、未知の人々から、いろいろな手紙が舞い込んでくる。
五月初旬の夜です。
鬱陶しい梅雨の季節が過ぎ去ると、焼くがような太陽の光が、じりじりと野や山に照りつけ初めた。
杭州西湖のなかほどに、一隻の画舫が浮んでいました。
その頃私の家は田舎の広い屋敷に在った。
A神社参拝は、良俗の一つとなっている。
十月の半ばをちょっと過ぎたばかりで、湖水をかこむ彼方の山々の峯には、仄白く見えるほどに雪が降った。
丘の上には、さびれた小さな石の堂があって、七八本の雑木が立並んでいた。
陽が陰るように、胸に憂欝の気が立ち罩める時がある。
四月初旬の夜のことだった。
東京近くの、或る大きな河の彎曲部に、渡舟場がありました。
がらり…………ぴしゃりと、玄関の格子戸をいつになく手荒く開け閉めして、慌しく靴をぬぐが早いか、綾子は座敷に飛び込んできた。
長谷部といえば、私達の間には有名な男だった。
欝ぎの虫、癪の種、さまざまなものが、人間のなかに住んで、正常な感情を引っ掻きまわすと言われているが、ここに、木山宇平のなかには怒りの虫がいつしか巣くったと、周囲の人々から見られるようになった。
中野さんには、喜代子という美しい姪があった。
椰子の実を灯籠風にくりぬいたのへぽつりと灯火をつけてる、小さな酒場「五郎」に名物が一つ出来た。
終戦後、柴田巳之助は公職を去り、自宅に籠りがちな日々を送りました。
志村圭介はもう五十歳になるが、頭に白髪は目立たず、顔色は艶やかで、そして楽しそうだった。
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