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高村光雲の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている高村光雲の全作品80篇を、おすすめ人気順で表示しています。

51〜80件 / 全80件
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まず、いろいろの話をする前に、前提として私の父祖のこと、つまり、私の家のことを概略話します。
そこでまた話がいろいろ転々しますが、平尾賛平氏が、どうしてこうも私のために厚い同情を注いで下すったかということについては、今までお話をしたばかりでは少し腑に落ちかねましょうが、これにはちょっと因縁のあることで、それをついでに話します。
さて、今日までの話は、私の蔭(かげ)の仕事ばかりで何らこの社会とは交渉のないものであったが、これからはようやく私の生活が世間的に芽を出し掛けたことになります。
ちょうどこの彫工会発会当時前後は私は西町にいました。
その当時、私の友達で京橋桶町に萩原吉兵衛という人がありました。
宮城前なる馬場先門の楠公銅像についてお話しましょう。
合田氏のはなしを聞けば、なるほど耳寄りな話である。
堀田原から従前通り私は相更らず師匠の家へ通っている。
学校奉職時代の前に少し遡り、話し残したことを補充して置きたいと思います。
さて、鏡縁御欄間の仕事が終りますと、今度は以前より、もっと大役を仰せ附かりました。
美術学校の教授を拝命したのが三月十二日、奈良京都への出張が同月十九日、拝命早々七日ばかりで旅に出まして、旅から帰ると学校の人となり、私の今日までの私生涯がここで一転化することになったのでありますが、それはそれとして、今日はその翌年の明治二十三年の十月十一日に帝室技芸員を拝命した話をしまして、それから楠公の像を製作した話へ移りましょう。
私は十四の子供で、さして役には立たぬ。
蠑螺堂は壊し屋が買いましたが、百観音は下金屋が買いました。
ここでまた話が八重になりますが、……その頃馬喰町の小町水の本舗の主人に平尾賛平氏という人がありました。
こういうことが続いていたが、或る年、大分大仕掛けに、父は熊手を拵え出しました。
それからまたこういう特別な注文のほかに、他の仕事もぽつぽつあります。
少し変った思い出ばなしをします。
そこで、彫刻製作となるのですが、岡倉校長は、主任は高村光雲に命ずるということであり、それから山田鬼斎先生を担任とすることになった。
私の年季が明けると同時に、師匠東雲師はまず私の配偶者のことについて心配をしておられました。
雷門に接近した並木には、門に向って左側に「山屋」という有名な酒屋があった(麦酒、保命酒のような諸国の銘酒なども売っていた)。
慶応四年辰年の五月十五日――私の十七の時、上野の戦争がありました。
さて、話は自然私がどうして石川光明氏と交を結ぶことになったかということに落ちて来ます。
この頃になって一時に種々の事が一緒に起って来るので、どの話をしてよろしいか自分ながら選択に苦しみますが、先に日本美術協会の話をしたから、引き続き、ついでに東京彫工会のことについて話します。
これから話の順序が学校へ奉職った時分のことにちょうどなって参ります。
私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。
私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。
さて、谷中(茶屋町)時代になって俄(にわか)に弟子が殖えました。
話がずっと後戻りしますが、今日は少し別のはなしをしようかと思いますが、どうですか。
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