ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 国枝史郎 全作品

国枝史郎の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている国枝史郎の全作品124篇を、おすすめ人気順で表示しています。

51〜100件 / 全124件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
中里介山氏の「大菩薩峠」は、実に素晴らしい作である。
「探偵趣味」へも御無沙汰致しました。
小酒井さんが長逝されました。
故小酒井不木氏は名古屋市に於ける寵児であった。
ミラは何うしても眠れなかった。
上仏印問題、蘭印問題がわが国の関心事となり、近衛内閣はそれについて、満支、南洋をつつむ東亜新秩序を示唆する声明を発した。
ボーン!音だ!ピストルの音だ!……と、そんなように思われた。
インドネジアン族、インドチャイニース族の集合であるところの熊襲が大和朝廷にしばしば叛(そむ)いたのは新羅が背後から使嗾するのであると観破され、「熊襲をお討ちあそばすより先に新羅を御征伐なさいますように」と神功皇后様が仲哀天皇様に御進言あそばされたのは非常な御見識と申上げなければならない。
創作探偵小説は本年度に至って活気を呈し、読物文芸的大方の雑誌は競って夫れを載せたようです。
「……勿論あなたの有仰る通り学問の力は偉大です。
一人の年老いた人相見が、三河の国の碧海郡の、八ツ橋のあたりに立っている古風な家を訪れました。
「伊右衛門さん、久しぶりで」こう云ったのは直助であった。
帝国政府は今回ローマの法王庁へ原田健氏を初代公使として派遣することになったが時局がら洵(まこと)に機宜を得た外交手段だと思う。
ご家人の貝塚三十郎が、また芝山内で悪事をした。
将軍家斉の時代であった。
「高きに登って羅馬を俯瞰(みおろ)し、巨火に対して竪琴を弾じ、ホーマアを吟じた愛す可き暴王、ネロを日本へ招来し、思想界へ放火させようではないか。
石川島監獄の内は陰森として暗らかった。
帷子姿の半身トントントントントントン……トン。
丸橋忠弥召捕りのために、時の町奉行石谷左近将監が与力同心三百人を率いて彼の邸へ向かったのは、慶安四年七月二十二日の丑刻を過ぎた頃であった。
問「大衆文芸と純文芸、どこに相違点があるのでしょう?」答「純文芸は叱る文芸、大衆文芸は叱らない文芸。
夕飯の時刻になったので新井君と自分とは家を出た。
娘を売った血の出る金今年の初雷の鳴った後をザーッと落して来た夕立の雨、袖を濡らして帰って来たのは村井長庵と義弟十兵衛、十兵衛の眼は泣き濡れている。
(これは駄目だ)と正成は思った。
木曽の代官山村蘇門は世に謳(うた)われた学者であったが八十二才の高齢を以て文政二年に世を終った。
17「おやっ!」と叫んだ長谷川の声がひどく間が抜けて大きかったので、山本は危なくコーヒー茶碗をテーブルの上へ落とそうとした。
天草騒動の張本人天草四郎時貞は幼名を小四郎と云いました。
文化年中のことであった。
昨日のように今日も矢っ張り太陽は西に沈んで行く。
「宿をお求めではござらぬかな、もし宿をお求めなら、よい宿をお世話いたしましょう」こう云って声をかけたのは、六十歳ぐらいの老人で、眼の鋭い唇の薄い、頬のこけた顔を持っていた。
「それ喧嘩だ」「浪人組同志だ」「あぶないあぶない、逃げろ逃げろ」ワーッ[#「ワーッ」は底本では「ワーツ」]と群衆なだれを打ち、一時に左右へ開いたが、遠巻きにして眺めている。
サラサラサラと茶筌の音、トロリと泡立った緑の茶、茶碗も素晴らしい逸品である。
拉薩の街は賑かであった。
「いや彼は隴西の産だ」「いや彼は蜀(しょく)の産だ」「とんでもないことで、巴西の産だよ」「冗談を云うな山東の産を」「李広[#「李広」は底本では「季広」]の後裔だということだね」「涼武昭王※(りょうぶしょうおうこう)の末だよ」――青蓮居士謫仙人、李太白の素性なるものは、はっきり解っていないらしい。
(水戸の武士早川弥五郎が、清国上海へ漂流し、十数年間上海に居り、故郷の友人吉田惣蔵へ、数回長い消息をした。
初対面「あの、お客様でございますよ」女房のお菊が知らせて来た。
「元禄の政は延喜に勝れり」と、北村季吟は書いているが、いかにも表面から見る時は、文物典章燦然と輝き、まさに文化の極地ではあったが、しかし一度裏へはいって見ると、案外諸所に暗黒面があって、蛆(うじ)の湧いているようなところがある。
乃信姫に見とれた鼠小僧「曲者!」という女性の声。
初夏の夜は静かに明け放れた。
「大分世の中が静かになったな」こう秀吉が徳善院へ云った。
時は春、梅の盛り、所は信州諏訪湖畔。
「御用!御用!神妙にしろ!」捕り方衆の叫び声があっちからもこっちからも聞こえて来る。
風見章さんのこと前司法大臣風見章閣下、と、こう書くと、ずいぶん凄いことになって、僕など手がとどかないことになる。
乞食の権七が物語った。
仇な女と少年武士「可愛い坊ちゃんね」「何を申す無礼な」「綺麗な前髪ですこと」「うるさい」「お幾歳?」「幾歳でもよい」「十四、それとも十五かしら」「うるさいと申すに」「お寺小姓?それとも歌舞伎の若衆?」「斬るぞ!」「ホ、ホ、ホ、斬るぞ、うるさい、無礼、なんて、大変威張るのね、いっそ可愛いいわ。
妖僧の一泊「……ええと、然らば、匁という字じゃ、この文字の意義ご存知かな?」本条純八はやや得意気に、旧い朋友の筒井松太郎へ、斯う改めて訊いて見た。
天保元年正月五日、場所は浅草、日は午後、人の出盛る時刻であった。
滝と池「綺麗な水ですねえ」と、つい数日前に、この植甚の家へ住込みになった、わたりの留吉は、池の水を見ながら、親方の植甚へ云った。
江川太郎左衛門、名は英竜、号は坦庵、字は九淵世々韮山の代官であって、高島秋帆の門に入り火術の蘊奥を極わめた英傑、和漢洋の学に秀で、多くの門弟を取り立てたが、中に二人の弟子が有って出藍の誉を謳われた。
痛む耳「耳が痛んでなりませぬ」と女は云って、掌で左の耳を抑えた。
何とも云えぬ物凄い睨視!海賊赤格子九郎右衛門が召捕り処刑になったのは寛延二年三月のことで、所は大阪千日前、弟七郎兵衛、遊女かしく、三人同時に斬られたのである。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。