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5分以内で読める青空文庫の短編作品(89ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編4,606作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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イーハトヴは一つの地名である。
三四日、風邪で臥ていた従妹が、きょうは起きて、赤い格子のエプロンをかけ、うれしそうにパンジーの鉢植をしている。
先日読んだ話のなかに燈火節といふ字が出てゐた、二月の何日であつたか日が分らないまま読んでゐたのを、今日辞書で探してみると、燈火節二月二日、旧教にては、この日に蝋燭行列をなし、一年中に用ひる蝋燭を祓ひ清むる風習あるを以てこの名あり、とあつた。
三宅坂の水揚ポンプのわきに、一本の日輪草が咲いていました。
私は平生毛筆を使はない。
今年私は瓢(ひさご)作りを楽しみに、毎朝起きるとすぐ畠へ出てゆく。
地震以後家に困つた。
彼と別れて居ると云う事は、日を経るに連れて、一層辛いものに成って来た。
グレレゴリイ夫人の伝説によると、むかしゲエル人の先住民ダナ人らがアイルランドに渡つて来た時には、大ぞらの空気の中を通つて霧に乗つて来たさうである。
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。
かれこれ批評を聞いたり、姿形を研究したりしている間に、一月余りも経ってしまいましたので、いよいよ取り掛かることにしました。
利欲一点張りの父と思想上の衝突からと云ふ註をつけて女子美術学校を中途でやめた松尾松子と云ふ婦人が将来画家としてたつゝもりで自宅で退学後も研究中の処父は彼女を歯科医として教育することにし度々意見の衝突をしたあげく不本意ながら父の意に従ふことになり近々専門校に入学して研究する筈になつてゐたが矢張り画を描くことを思ひ切ることが出来ずに煩悶し近き頃は家人ともろく/\口もきかず一室にとぢこもつて絵をのみかき哲学の書なども耽読してゐたが何時か自殺を決心して十八日午前二時画用の黄と青の毒絵の具を多量に...
※牝狐と牡兎春であつた。
男の子たちはみんな、体中まつ黒にしたいと思ひました。
杉よ!眼の男よ!富岡誠『杉よ!眼の男よ!』と俺は今、骸骨の前に起つて呼びかける。
時砲の玉みたいな製鉄炭酸瓦斯管が立って居る。
上夏の初めになると、南の方の国から、つばめが北の方の国に飛んできました。
三角形の平地を七つに岐れて流れる川は瀬戸内海に注いでゐた。
「兵馬の権」とか「弓馬の家」とかいう語もあるほど、遠い昔から軍事の要具とせられている勇ましい馬の鳴声は、「お馬ヒンヒン」という通り詞にあるとおり、昔からヒンヒンときまっていたように思われるが、ずっと古い時代に溯(さかのぼ)ると案外そうでなかったらしい。
水天宮様の真上の方に月があつて、甘酒屋から蛎浜橋までゆく横丁の片側を照らしてゐた。
ポウの宇宙論『ユリイカ』のなかにはトレミイ・ヒィフェスチョンといふ学者の名が出て参ります。
亡くなつた林芙美子さんのことについて何か書けといふ注文である。
能楽の獅子舞には、本式に、赤頭に獅子口の面をつけて出る石橋と、望月や内外詣のやうに、仮面の代りに扇をかづき、赤頭をつけるのとがある。
窓の外で春の形見の鶯が頻りに啼いている。
御質問にお答へするほど、日本の古典をよく讀んでゐませんので大變困りましたが、一、僅かに讀んだものの中では、「更級日記」などが隨分好きです。
あるところに、にはとりのたまごが八つありました。
ある朝、一通の軍事郵便が届けられた。
新聞小説には殆ど経験がないといつてもいゝし、従つて自分でかうといふ野心を持つてゐるわけでもありませんけれども、自分だけの問題として考へれば、これからも新聞の小説を書いてみようといふ興味があるし、書くに就いては形式の上から云つても内容の上から云つても、自分が満足するだけでなく、非常に広い範囲にわたる読者へ相当興味の持てるやうなものをといふ事は自然考へてゐます。
年ちゃんの友だちの間で、ハーモニカを吹くことが、はやりました。
モスクワ滞在の最後の期間、私たちは或るホテルに暮していた。
同志小林多喜二は、日本のプロレタリア文学運動において、実に類のすくない一人の傑出した世界的作家であった。
本日の会には是非出席いたしまして、お話を伺いたいと思いますが、健康がまだ無理なので失礼いたします。
始皇帝がどう思つたか、本を皆焼いてしまつたので、神田の古本屋が職を失つたと新聞に出てゐるから、ひどい事をしたもんだと思つて、その本の焼けあとを見に丸ノ内へ行かうとすると、銀座尾張町の四つ角で、交番の前に人が山のやうにたかつてゐる。
武雄さんはお母さんが亡くなられてから大層わるくなりました。
この夏のことでした。
会場にはぎっしり聴衆がつめていた。
番町の青山主膳の家の台所では、婢(げじょ)のお菊が正月二日の昼の祝いの済んだ後の膳具を始末していた。
一刻も早く家へ帰り度い気持と、それとは反対に、どこかへ行つて見度いといふ気持――がその二つの心にのみ面接してゐたといふ程ではなく、ただその朧ろげな二つの気持を「空漠」とした白さが濡紙のやうにフワリと覆つて、つまり彼はその三つの心を蔵して歩いてゐた。
モスクワに着いてやっと十日めだ。
「……伊太利は好い效果を與へてくれましたけれど、こんどは私には北方が、空間が、風が必要になつたやうな氣がいたします……」と、一九〇四年四月二十九日、當時羅馬に滯在してキエルケゴオル、ヤコブセン等の作品を好んで讀んでゐたライネル・マリア・リルケはそのスカンヂナヴィア在住の女友達エレン・ケイに宛てて書いてゐる。
美しいプリンスは、お名をアドとおつしやいます。
この間うちの上野駅の混雑というものは全く殺人的なひどい有様であったようだ。
北海道の○○大学は、後に農園があって、側面が運動場になっているが、その運動場の端れから農園にかけて草の堤が続き、そして堤の外は墓場になっていた。
○僕はこれからも今月のと同じような材料を使って創作するつもりである。
八月七日の本紙に、伊藤整氏が同氏の作「幽鬼の町」に就て書いた私の月評に反駁した文章を発表された。
聖武のみかど勅願せさせ給ひけむ、金光明、四天王、護國の國分寺すたれて、遺跡たゞ敗瓦を見る。
夜光命も、十口坊も、第一回の夜行に閉口したりけむ、千葉に向つて第二回の夜行を爲したる時は、來り會せざりき。
この物語はさほど遠い昔のことでは無い。
作家の生活費は収入で決まるソヴェト露西亜の実生活については種々反動的なデマゴーグが拡まっているが、実際内部へ入って見れば、年々状態は好くなって来るし、一九二八年――まして一九三三年の生産拡張五ヵ年計画が着手されてから、個人商人の激減と工場及び凡ての官公署内の組織が社会主義的ラインに依って非常に多くのものを清算し改造したために、各個人の実際生活が一方から見れば窮屈みたいだけれど、一方から見れば非常に合理的に営まれている。
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