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1時間〜で読める青空文庫の長編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「1時間〜」の長編1,851作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(24,001文字〜の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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浮雲はしがき薔薇(ばら)の花は頭に咲て活人は絵となる世の中独り文章而已(のみ)は黴(かび)の生えた陳奮翰の四角張りたるに頬返しを附けかね又は舌足らずの物言を学びて口に涎(よだれ)を流すは拙しこれはどうでも言文一途の事だと思立ては矢も楯(たて)もなく文明の風改良の熱一度に寄せ来るどさくさ紛れお先真闇三宝荒神さまと春のや先生を頼み奉り欠硯に朧(おぼろ)の月の雫(しずく)を受けて墨摺流す空のきおい夕立の雨の一しきりさらさらさっと書流せばアラ無情始末にゆかぬ浮雲めが艶しき月...
こゝろなきうたのしらべはひとふさのぶだうのごとしなさけあるてにもつまれてあたゝかきさけとなるらむぶだうだなふかくかゝれるむらさきのそれにあらねどこゝろあるひとのなさけにかげにおくふさのみつよつそはうたのわかきゆゑなりあぢはひもいろもあさくておほかたはかみてすつべきうたゝねのゆめのそらごと秋の思秋秋は来ぬ秋は来ぬ一葉は花は露ありて...
作者の言葉この小説は、「健康道場」と称する或(あ)る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子から、その親友に宛てた手紙の形式になっている。
○春琴、ほんとうの名は鵙屋琴、大阪道修町の薬種商の生れで歿年は明治十九年十月十四日、墓は市内下寺町の浄土宗の某寺にある。
死について近頃私は死というものをそんなに恐しく思わなくなった。
[#横組みで、ページの上部、左右中央に]La pens※e doit remplir toute l'existence.MAINE DE BIRAN, Journal intime.[#改ページ、ページの左右中央に]この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。
[#ページの左右中央]サイレーンがどんな歌を歌ったか、またアキリースが女たちの間に身を隠したときどんな名を名のったかは、難問ではあるが、みなみな推量しかねることではない。
むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。
宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐(あぐら)をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。
漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜※(へんさいしゃりょしょう)を発して北へ向かった。
※私の情緒は、激情といふ範疇に屬しない。
壱古い話である。
第一部最終戦争論昭和十五年五月二十九日京都義方会に於ける講演速記で同年八月若干追補した。
黄巾賊後漢の建寧元年のころ。
目次第一章人情の碗茶は日常生活の俗事の中に美を崇拝する一種の審美的宗教すなわち茶道の域に達す――茶道は社会の上下を通じて広まる――新旧両世界の誤解――西洋における茶の崇拝――欧州の古い文献に現われた茶の記録――物と心の争いについての道教徒の話――現今における富貴権勢を得ようとする争い第二章茶の諸流茶の進化の三時期――唐、宋(そう)、明の時代を表わす煎茶、抹茶、淹茶――茶道の鼻祖陸羽――三代の茶に関する理想――後世のシナ人には、茶は美味な飲料ではあ...
医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下した。
○今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、電気や瓦斯や水道等の取附け方に苦心を払い、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろう。
元日雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。
[#改ページ]永井博士一家(写真右より誠一さん、博士、茅野さん)[#改ページ]浦上天主堂の廃墟にたつ誠一、茅野兄弟。
他人を攻撃したって、つまらない。
作者についてこの「若草物語」(原名リツル、ウィメン)は、米国の女流作家ルイザ・メイ・オルコット女史の三十七才の時の作です。
ホームズは全く黙りこんだまま、その脊の高い痩せた身体を猫脊にして、何時間も化学実験室に向っていた。
オレの親方はヒダ随一の名人とうたわれたタクミであったが、夜長の長者に招かれたのは、老病で死期の近づいた時だった。
はしがきそのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。
彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。
友達梅田の停車場を下りるや否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥(くるま)を雇って岡田の家に馳(か)けさせた。
其木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用いたる岩畳作りの長火鉢に対いて話し敵もなくただ一人、少しは淋(さび)しそうに坐(すわ)り居る三十前後の女、男のように立派な眉をいつ掃いしか剃(そ)ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠(みどり)の匂いひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらいに一本簪でぐいと留めを刺した色気なしの様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一ト綜(ふさ)二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気...
はるか、沖合へでてみますと、海の水は、およそうつくしいやぐるまぎくの花びらのように青くて、あくまですきとおったガラスのように澄みきっています。
薦むる詞昔我が濁れる目に夙(はや)く浮びしことあるよろめける姿どもよ。
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に...
健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。
従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。
[#ページの左右中央]遙に満洲なる森鴎外氏に此の書を献ず[#改ページ][#ページの左右中央]大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりてあまぐもとなる、あまぐもとなる。
硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉(ばしょう)だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。
○病床六尺、これが我世界である。
[#ページの左右中央]わがあしかよわくけわしき山路のぼりがたくともふもとにありてたのしきしらべにたえずうたわばききていさみたつひとこそあらめさんびか第百五十九[#改ページ]四月十六日。
第一曲われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき一―三あゝ荒れあらびわけ入りがたきこの林のさま語ることいかに難いかな、恐れを追思にあらたにし四―六いたみをあたふること死に劣らじ、されどわがかしこに享けし幸をあげつらはんため、わがかしこにみし凡ての事を語らん七―九われ何によりてかしこに入りしや、善く説きがたし、眞(まこと)の路を棄てし時、睡りはわが身にみち/\たりき一〇―一二されど恐れをもてわが心を刺しゝ溪の盡く...
私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。
新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえない九月の朝の、煙った空気に包まれて聞こえて来た。
女神の死世界ができたそもそものはじめ。
彼岸過迄に就て事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。
私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います。
第百版不如帰の巻首に不如帰が百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。
魯(ろ)の卞(べん)の游侠(ゆうきょう)の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂(うわさ)も高い学匠・陬人孔丘を辱しめてくれようものと思い立った。
「こいさん、頼むわ。
父上に献ぐ父上、父上ははじめ望み給はざりしかども、児は遂にその生れたるところにあこがれて、わかき日をかくは歌ひつづけ候ひぬ。
チベットは厳重なる鎖国なり。
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