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5分以内で読める青空文庫の短編作品(7ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編4,606作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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「東北文化研究」創刊號の餘白録に、喜田先生の「安達ヶ原の鬼婆々」を讀んで、先生の御高見もさる事ながら、これに就いては小生も先年から多少考へてゐるところがあるので、こゝに異考として先生の驥尾に附し、敢て御笑ひ草までに書きつけるとした。
桑名の夜は暗かつた蛙がコロコロ鳴いてゐた夜更の駅には駅長が綺麗な砂利を敷き詰めたプラットホームに只(ただ)独りランプを持つて立つてゐた桑名の夜は暗かつた蛙がコロコロ泣いてゐた焼蛤貝の桑名とは此処のことかと思つたから駅長さんに訊(たづ)ねたらさうだと云つて笑つてた桑名の夜は暗かつた蛙がコロコロ鳴いてゐた大雨の、霽(あが)つたばかりのその夜は風もなければ暗かつた...
彼は幸福に書き付けました、とにかく印象の生滅するまゝに自分の命が経験したことのその何の部分をだつてこぼしてはならないとばかり。
怪談も生活様式の変化によって変化する。
お握りには、いろいろな思い出がある。
悪検閲制度をぶっ潰せ検閲制度改正期成同盟万歳労働者農民万歳残虐の限りを尽し暴圧の嵐は絶えず吹き続け遂に俺達の言葉迄奪った奴等哀れな奴等の迫害だ哀れな奴等の猿轡だ首を締めつける彼奴等の顔へ憫笑の一瞥を投げて野火の如く囂(ごう)々と拡がり行くではないか俺達の火の手真赤な火の手虫けらの如く無残にも抹殺され空しく屍を曝す幾千の言葉血潮の憤激戦闘の伴侶敵を斃す俺達の鋭利な武器...
かの女を人はあきらめろと云うがおんなを人はかの女だけでないと云うがおれには遠くの田螺の鳴声までかの女の歌声にきこえ遠くの汽車の汽笛までかの女の溜息にきこえるそれでもかの女を人はあきらめろと云う。
胸一杯に吸いこんだ空気甘い甘い麦のかおり何故となくきれぎれに思い出てはあとかたもなく消えて行く幼ない時の楽しい思い出一月目に見る村の麦畑の何んと伸々と変っていることだろう風呂敷包を下げ胸をふくらせ休日の久方ぶりに村の本道を帰って来た私おしつけてもおしつけても湧き上って来る此のうれしさ休み日ごとに家に故里にかえりたい心はせき上げて来る潮のように体中をかけめぐり考えも感情も何もかもぎりぎりと巻きから...
江戸川乱歩氏と初めて逢ったのは、今から三十年ほど前の、報知新聞社の応接間であった。
扇子と香水――君、新聞紙を絹風呂敷には包みましたか夕の月が風に泳ぎますアメリカの国旗とソーダ水とが恋し始める頃ですね。
雪どけの峽の小徑を行く行く照らしいだすわが手の燈火黄色なる火影のうちを疲れて歩むあはれわが脚の影重い靴濡れた帽子冷めたい耳空腹――旅人と身をなして思ふことさへうつつないああこのひととき。
女教員の縊死と題して大阪朝日に記されてゐた事柄は、大阪市内の某校の女教師が母と一緒に暮してゐてそのうち養子を迎へたがどうしても仲よくすることが出来ずに争ひがたえなかったが[#「たえなかったが」はママ]或日も午後の七時頃から買物に出かけて十時頃かへつたがあまり外出の時間が長いと小言を云はれてそれから大げんかをしたが翌日またそのつゞきがあつて結局女は二階にあがつて縊死を遂たと云ふのだが実に下だらない事に死んだものだとしか私には思はれない。
新緑の味覚は、若あゆの塩焼きからといってもよい。
四谷怪談といえば何人もおなじみであるが、扨(さて)その実録は伝わっていない。
「幸福」がいろいろな家へ訪ねて行きました。
パール・バック女史の問題のつかみ方は、さすがに作家らしくて、わたしにも皆さんにも同感されたのだと思います。
秋というと生まれた川久保を思い、川久保を思うと累々と真赤に熟れた柿が目の前に浮んで来る。
みんな金を持って、金を捨てにゆく群衆が、どうして皆あんなに愉快そうな顔を揃えてゆくだろうか。
俺達は一度に声を挙げて集まって来たのだ、反動の軍旗をへし折って来たのだ、真っ青になって口も利けなくなった師団長の高慢なシャッポを蹴飛ばして来たのだ。
数日前ちょっと閑があったから、水戸の常盤公園へ観梅に出かけて行った。
数年前に「ボーヤ」と名づけた白毛の雄猫が病死してから以来しばらくわが家の縁側に猫というものの姿を見ない月日が流れた。
人間の思慮の及ぶ所には限度がある。
近景ニ一本ノ葦、遠景ニ不二ノ山、不二ヨリモサラニ高ク、新鮮ニ葦ハ戦ゲリ。
久々に来た東京の友を案内して、奈良の新薬師寺から白毫寺村の方へ歩いた。
越前の国の代官、野本彌治衞門の歿した時、その下役の者共相謀って、その故主人の遺族をだまそうとした、代官の負債の幾分を償却すると云う口実の下に、その家の財宝家具全部を押えた。
詩と劇とは元來、本質的に切り離せぬ關係にあるが、「思想」が劇に不可缺のものであるとは特に言ひきれない。
父は話好きであります。
あゆをうまく食うには、あゆの成長と鮮度が大いに関係する。
本日(一九四六年七月七日・日曜)朝食の折から一通の速達が舞いこんできた。
「歌留多」の函「歌留多」のなかに折りたたみで入っていたパンフレット[#改ページ]このいろはがるた長いこと私は民話を書くことを思ひ立つて、未だにそれを果さずにゐますが、このいろはがるたもそんな心持から作つて見ました。
獅子文六氏との対談で、熱海の福島慶子女史は「アメリカのパン、あんなもの問題じゃない。
神楽と言ふ名は、近代では、神事に関した音楽舞踊の類を、漠然とさす語のやうに考へてゐる。
清ら若水にみそぎ美々しく袖ひきつらね首里天加那志美御機拝むと人々は開暁鐘とつれて石畳九重の城に登つたで(あ)らう歌と蛇及皮線に城内の夜は明けはなれ御祝ごと続く御代の福らしや都大路にあけず羽美衣も晴れやかに飛び交ひ御冠船踊の華々しさよ浮上とて見ゆる凪(とり)の伊平屋嶽の如くに玉黄金若人たちは娘たちの前に踊り栄えたであらう花の昔よ走川のごとに(流)れゆく年波を漕ぎ戻すよすがもなく唐破風の屋根は苔蒸し...
小夜の中山の夜泣石の伝説も、支那から輸入されたものであるらしく、宋の洪邁の「夷堅志」のうちに同様の話がある。
二十代の時鴎外先生には五、六回お目にかかった。
茶話2・27フランク・ハリスと云へば聞えた英国の文芸家だが、(ハリスを英人だと言へば或(あるひ)は憤り出すかも知れない、生れは愛蘭で今は亜米利加にゐるが、自分では巴里人の積りでゐるらしいから)今度の戦争について、持前の皮肉な調子で、「独逸は屹度最後の独逸人となるまで戦ふだらう、露西亜人もまた最後の露西亜人となるまで戦ふだらうが、唯英吉利人は――さうさ、英吉利人は最後の仏蘭西人がといふところまでは行るに相違ない」と言つてゐる。
少女子を孕(はら)めるという太りたる腹はみにくくかわいらし少女子を孕めるという十月なる日を算えては頬笑める孕めるは何の摂理ぞ夜深く何を悩める人の世に明日あり今日ありさて遠く夢想の国に青き花咲くとも聞けり孕めるは何の摂理ぞ少女子を孕めるという。
俳句をむかし少し許りやったことがあるのに、いまだに私は俳句がわからない。
精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。
余は子規の描いた画をたった一枚持っている。
上甲と乙の二つの国は、隣り合っているところから、よく戦争をいたしました。
お前は此の頃よくねむる朝もなかなか目が覚めない若いお前には深いねむりが必要なのだお前よお前は母の手に返ってきた日本が敗けたときお前はわたしの子供となったお前が生まれたときはじめてねむったあの時の母子のようにわたし自身によって生まれた子供として母の誇りをもって抱くことのできる何と言う喜びぞわたしは乳をしぼった出ない乳をしぼり、つかれて痩せ夜もねむらずにお前を育てた育てた...
あゆがうまいという話は、味覚にあこがれを持ちながら、自由に食うことのできない貧乏書生などにとっては、絶えざる憧憬の的である。
悠々たる哉天壌。
ある人びとは、「オドラデク」という言葉はスラヴ語から出ている、といって、それを根拠にしてこの言葉の成立を証明しようとしている。
木に白い美しい花がいっぱいさきました。
ある日、つね子さんが、いつものやうにお庭へ出て、兎来い兎来い赤い草履買つてやろ兎来い兎来い赤い簪(かんざし)買つてやろ兎来い兎来いぴよんこぴよんこはねて来いと、『兎来いの唄』をうたつて遊んでをりますと、『今日は、今日は』と云つて一疋の子兎が来ました。
秋月老先生、――『世界に於ける最も丁寧なる人々』の禮儀を知らない私、それから上品にして美はしい種類の挨拶の言葉のあるその國語を知らない一外國人である私は、私の恭しき賀状を御送り申上げる場合に、私の云ふべき事が云へないやうに感じます。
「犬神博士」は私が何等の自信もないままに、突然福日社から頼まれたものです。
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